第49回 | 2023.02.02

日本における水産資源利用の歴史について①サメ編

皆さんこんにちは!
今回のコラムでは私が業務で関わる産地、宮城県気仙沼市で日本一の水揚げ量を誇る「サメ」にちなんだお話をしたいと思います。

(1)食材や道具としてのサメ利用

突然ですが、皆さんは「サメ」と聞いて何を連想しますか?

サメが人を襲った事故などがニュースで取り上げられ、かの有名な映画「ジョーズ」でも獰猛なハンターとして描かれており、漠然と恐ろしい印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。一方で、「フカヒレ」のように高級食材として親しまれているといった印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

では、ヒレ以外はどうしているの?そう思った方もおられると思います。ですが安心してください。サメの皮は鞄や靴等の革製品の原料に、サメの軟骨はご年配者には欠かせないコンドロイチンの原料に、サメの身(お肉)ははんぺん等の原料になっており、実はサメは余すところなく利用されております。スーパー等では切り身として販売されることもあり、私たち人間の暮らしに欠かせない大事な水産資源の1つであると思われます。

では、“古くから”とはいったいいつ頃なのでしょうか。このコラムでは、我々の祖先が一体いつからサメを利用してきたのか、数ある水産資源の中から「サメ」にフォーカスをあて、サメ利用の起源について考えていきたいと思います。

(2)サメの利用の起源について

①貝塚から見つかるサメ

日本におけるサメの利用は縄文時代にまで遡ります。縄文時代は今から約1万5,000年以上前~約2,400年前までの期間を指しますが、気の遠くなるほど昔の日本においてもサメは貴重な水産資源であったことを示す証拠が数多く見つかっています。その証拠のほとんどは、「貝塚」と呼ばれる縄文時代を代表する遺構から見つかっています。

日本の沿岸部を中心に分布する「貝塚」は、名前の通り「貝」で形成された「塚」の呼称です。わかり易く例えるならゴミ捨て場のようなもので、当時の人々の生活廃棄物が長い期間一定の場所に堆積して形成されるものです。貝塚は、貝殻を主に形成されているため、日本の酸性土壌においても貝殻のアルカリ成分によって中和され、骨等の有機物が現代にまで良好な保存状態で残るデータベースとなります。

この貝塚からは、多くの魚類の骨が発掘調査により見つかっています。例えば、宮城県東松島市の里浜貝塚からは、マイワシ、アイナメ類、スズキ、フグ、サバ、アジ、メバル、ソイ、ウナギ、貝類ではアサリやスガイ等の出土が報告されています。全国に目を向ければ、マグロやカツオ、ブリ、イルカ、鯨等の大型魚類の骨が出土している事例もあります。

上記の事象は、縄文時代の人々が多種多様な水産資源を利用して生活してきたことを示す事実であり、縄文時代の食の豊かさを垣間みることができます。縄文時代の豊かな食は漁労(漁業)によって確かに支えられていたのです。

(「霞ヶ浦周辺の貝塚調査からみた太古の魚類相」より引用)

②装飾品としての「サメ」利用

ところで、縄文時代においてサメはどのように利用されたのでしょうか。縄文時代においてもサメは漁獲対象漁であったと思われます。ただ、丸木船しかない時代においては、魚体の大きく、獰猛なサメはリスクを冒してまで積極的に漁獲されなかったと考えられています。しかし、全国各地の縄文遺跡でサメの出土事例は少なくはなく、人々の生活に欠かせない資源だったことが想像されます。

そんなサメの出土事例を見ると縄文時代特有の利用の仕方があったことが分かっています。それは、「装飾品」としての利用です。実は縄文人はとてもおしゃれでピアスやブレスレット、首飾りや髪飾り等で自らをコーディネートしていたことから、非常に美意識が高い民族であったと考えられています。このうち、「首飾り」(ネックレス)の材料としてサメの歯が利用されていた事例が多く見つかっています。

縄文時代では、副葬品と呼ばれる自身が生前身につけていたものや、特別大事な物などを、死者と供に埋葬する文化があります。これら副葬品の示す意味については研究者の間で様々な解釈がされていますが、サメの歯が装飾品として、沿岸部だけではなく内陸部の遺跡からも出土する事例もあることから、縄文時代の人々にとってはサメの歯には特別な意味付けがなされ、且つその価値は沿岸部のみならず、海から離れた内陸部にまで達していたということが明らかとなっています。

 
      図1 新潟県佐渡市堂の貝塚人骨出土状況及び出土遺物(サメのネックレス)
          (日本海沿岸における縄文時代のサメ類利用の総合的研究)

 

(3)水産資源の持続可能な利用について

こうしてみると、サメは縄文時代より利用され、食材としてだけではなく、装飾品や道具として人間の生活を支え続けてきた大切な水産資源であることが良く理解できると思います。昨今、世界中で水産物の資源保護が叫ばれ、漁獲制限等の規制が厳しくなりつつあります。サメにおいても例外ではなく、昨年11月にもワシントン条約会議が開かれ、付属書Ⅱ(国際取引を規制する提案)にメジロザメ科が追加されたことを受けて、気仙沼市で最も多く水揚げされる「ヨシキリサメ」が国際取引上での規制の対象となりました。国内流通では問題ないが、輸出等する際には複雑な手続きが必要になるとのことです。この背景には、サメ漁ではヒレだけをとってそれ以外を海に捨てる「フィニング」という行為が実際に行われており、世界的に問題視されているためです。もちろん、日本の操業船ではそのようなことは一切せずに、余すところなく利用されているのが現状です。

我々日本は、サメに関わらず大昔から水産資源の恵みを受けて命をつないできた民族です。縄文時代に食されていた水産資源の種類は現代よりもはるかに多かったことが分かっています。これは、多種多様な食物を摂取することで、効率よく栄養を補給していたことを示すものです。他にも、縄文人たちは獣を狩るにしても幼獣(子供)ではなく成獣(大人)を意図的に食していたこともわかっています。つまり、日本では、一万年も前から資源管理がされていたのです。縄文時代の豊かさのヒントはここにあります。

今後、世界人口はどんどん増加して行きますが、天然の水産資源は減少傾向にあります。遠い未来においても水産資源が枯渇することなく、人間社会の営みを維持させていくために、まだまだ縄文から学べることがあるかもしれません。

 

 


研究員 松本 隼也