第7回 | 2017.05.29

道の駅事業の推進に向けて①
〜道の駅事業がめざす姿を考える〜

ゴールデンウィーク真っただ中の去る5月3日、流通研究所が長年支援してきた福島県の道の駅「国見あつかしの郷」がグランドオープンした。初日から、入場制限のもと1万人を超える利用者が訪れ、その後も利用者の勢いは衰えず、現在も空前絶後の活況を呈している。震災復興の御旗のもと、町の職員たちが幾多の苦難を乗り越えて辿りついた一つのゴールを目のあたりにして、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

改めて、道の駅は市町村が取り組む事業として、本当によい事業だと実感した。町民たちの笑顔があふれ、地域農産物は飛ぶように売れ、出荷者は商品の補充に飛び回り、従業員は汗を拭き拭き明るく利用者を迎える。その光景こそが、まさに地域の活性化であり、市町村でしかなし得ない一大プロジェクトのゴールであると思った。

道の駅は全国で1,000か所を超えてなお、開業のペースが衰える兆しはない。流通研究所においても、今年度も5か所の道の駅関連事業を受託したことでも明らかなように、現在も多くの市町村が、道の駅事業の導入に向けた調査・検討や開業に向けた準備を進めている。

かつての道の駅は、中山間地域における地域活性化の起爆剤として整備され、その多くは公設で、第3セクター方式で運営されている。しかし近年は、都市部や交通量が多い立地を対象に、PFI事業の導入や指定管理者の全国公募など、民間活力導入により整備・運営する事例が増えつつある。また、規模は応じて大型化し、コンビニ併設型、住民福祉施設併設型など、その機能も多様化・高度化している。

これまでも私のコラムでは、道の駅について折に触れて述べてきた。改めてこのコラムにおいて、「道の駅事業の推進に向けて」というテーマを設定し、5~6回程度のシリーズで、ハード・ソフト両面から私の考えを整理してみたいと思う。本日はその序論として、冒頭掲げた道の駅「国見あつかしの郷」を事例に、道の駅事業がめざす姿について考えてみたい。

2011年3月に発生した東日本大震災により、国見町では、庁舎をはじめ多くの家屋が倒壊し、一部の地区では軽微な放射能汚染を被り、町民に大きな経済的・精神的な打撃を与えた。その中で、町長・議会・職員が一丸となって、震災復興に向けた長い道のりをスタートさせることになる。仮設の庁舎の中で、職員達が熱い議論を繰り返した末に、復興の御旗として浮上したのが、兼ねてからの検討テーマであった道の駅事業だった。

道の駅の整備立地は、概ね満場一致で早々に決まった。町の中心地に位置する国道4号線(奥州街道)沿いの約2.5haの農地で、利用者の利便性や整備効率、景観などを考え併せると、町土の中では、ここをおいて他にはあり得ないといえるほどの好立地である。貴重な優良農地をつぶすことになったが、震災復興と地域再生という明確な目的が存在したことから、関係機関や地権者の合意も得られやすく、農地転用や地権者交渉なども概ね円滑に進んだ。

続いて道の駅の規模・機能に関する議論が進んだ。限られた予算の中で、町の中核的な拠点として十分な規模と機能を持った道の駅にしたい。そして、大震災以前から町が取り組んできた、農業振興、交流促進、住民福祉などの施策の全てを集約できる道の駅にしたいと考えた。議論の末に、規模は県内最大級、機能は、駐車場、トイレ、情報発信、防災の基本機能に加え、直売、軽食、飲食、子育て支援、宿泊、コンビニというフルスペックの道の駅を整備することが決まった。

基本設計から実施設計、さらには什器の導入、レイアウト構成、備品の選定・購入、店内の演出など、施設整備にあたっては、多大な時間と労力を要した。一方、商品・サービス内容やオペレーションシステムなどが決まらないと、施設整備の内容は決められない。そこで、ソフトとハードを一体的に検討し、何度も見直しあるいは変更作業を繰り返しながら、最適なかたちを作り上げていった。なお、総事業費は20億円を超えたが、国土交通省との一体型整備や農林水産省などの補助金活用により、効率的な財源ミックスのもと、施設整備を進めることができた。

並行して、施設の管理・運営体制について検討が進められた。震災復興と地域再生という目的を踏まえ、整備する道の駅は公益的な側面が強く、第3セクターを新設して指定管理者に据える基本方針が早々に決まった。第3セクターは、町の行政機能を補完する「まちづくり会社」として設立する方針とした。通常、第3セクターを設立するためには、町の出資比率や参画団体の選定などに時間を要するが、国見町では、町100%の株式会社とする一方で、役員にはJA・商工会・金融機関などの代表者を登用する方式を採用し、短期間で設立にこぎつけた。国見町の凄味は、町が率先して事業を牽引し、全責任を負って事業に取り組んであたり前であると、腹をくくって臨んだところにある。

その後、民間企業から4名のスタッフを任期付き職員として採用し、開業に向けた諸準備にかかることになる。大震災復興を含め膨大な業務が存在する中で、限られた人数で町の職務をこなしていくには限界があると判断し、職員を増員する方式をとった。これらの任期付き職員は、開業と同時に第3セクターの社員に移行することになることから、将来自ら活躍する場を自らつくるという考えで仕事に臨むことになった。

一方、地域住民の参加促進に向けては、出荷組合を設立し、その下に米、野菜、果樹、花卉、加工品、工芸品、そして特産品の7つの部会を設置した。繰り返し役員会を開催し、組合員に対しては、野菜の栽培講習会など多様な研修会を繰り返し開催した。検討会や研修会を通して、出荷にかかわるルール作りや出荷者の意識向上を進め、その趣旨をまとめた「出荷のしおり」という冊子を作成して全組合員に配布した。設立当初は150名であった組合員は、その後急速に拡大し、開業時には350名を超えた。

原発事故を背景に、安全対策には万全を期すこととした。放射能検査や、農薬の適正利用、生産履歴の記帳などについて、県の支援を受けながら出荷者に対して徹底的な指導を行った。放射能検査をクリアし生産履歴のチェックを受けないと出荷資格をもらえないルールとし、組合員活動を活発に行うことで組合員同士が相互牽制する仕組みをつくりあげた。全国の直売所では、未だに生産履歴すら記帳しない出荷者が見られる中で、国見町民の安全に対する意識は極めて高い。その意味で、「国見あつかしの郷」は、日本一安全な産品を直売する道の駅といってよいだろう。

開業が近づくにつれ、職員達の仕事は多忙を極めた。その中の大きな仕事の一つが、スタッフの採用と育成である。募集をかけたところ、大勢の応募があり、総勢60名を超える素晴らしいスタッフの採用が決まった。いずれのスタッフも、自分達が、震災の復興と地域再生の一翼を担うという高い意識を持っており、貪欲に業務知識を吸収し、短期間で高いレベルの接客技術などを身に付けていった。

そして、道の駅「国見あつかしの郷」は、4月27日にプレオープン、5月3日にはグランドオープンを迎えることになる。私が想像した以上に利用者が殺到し、売上高は当初計画の2倍以上にのぼり、今もその勢いが衰えることはない。職員達の不眠不休の戦いは、今も続いている。開業したばかりであり、これから多くの取組課題が浮上するであろうが、道の駅事業の成功は既に明らかである。

国見町での道の駅事業の最大の成功要因は、人であると考える。この事業に取り組んだ全ての野武士達は、計画立案段階から開業まで、崇高な目的のもと、一貫した志を持ってぶれなく突き進んだ。何のために道の駅事業に取り組むのか。その答えは、震災復興と地域再生である。そのためには、町が資金を拠出して施設を整備し、町が100%出資したまちづくり会社が運営し、町とまちづくり会社が両輪になって、地域活性化の仕組みをつくりあげるという考え方が、全ての関係者の間で共有化されなければならない。

昨今、コスト削減とか後年度負担の軽減とか、さらには赤字リスクの回避などともっともらしい理由を並べ、はじめから民間による整備・運営方式を採用しようとする傾向が強い。民間活力を導入するという視点を否定する訳ではないが、始めからそのような逃げ腰で考えるならば、道の駅事業などやらない方がよい。事業目的をしっかり捉え、行政があくまで主導して取り組むのが道の駅事業の本質である。国見町では、他力本願のような考えは当初からなかった。その分、この事業に携わった誰もが大変な努力と苦労を強いられたが、当初の目的を見事に達成し極めて高い事業効果をあげている。

どんな状況でも信念を変えず、一貫してこの事業の指揮にあたった町長が、最も偉かったと私は思う。全国的な動きを見ると、首長の意思が薄弱なため、議会からの様々な圧力に対応できず、遅々として議論が進まず、いつまで経っても事業化できない事例が多い。赤字になったらどうするのか、初期投資をいかに回収するのか、民間にやらせることを考えるべきだなど、道の駅事業は議員さん達にとって、突っ込みどころが満載である。厳しい財政環境の中、こうした意見が出てくることは理解できるが、あくまで財政負担を避けるべきだと考える市町村に、道の駅事業に取り組む資格はない。道の駅は、地域活性化を目的に政策として行う事業である。したがって、道の駅事業の推進にあたっては、首長が信念として持ち続けることが絶対条件になる。

国見町では、この事業を担当した課長・室長が非常に優秀だったことに加え、超人的なパワーと不退転の決意を持って取り組んだことにも着眼するべきである。首長の思いをかたちにするのは職員である。その中でも、課長・室長の役割は特に大きく、この二人がいたからこそ、道の駅事業を成功に導けたといえる。ちなみに現在担当課長は、まちづくり会社の常務に就任し、駅長としての大役を自ら負っているし、室長は部署ごと道の駅に移転するかたちで、道の駅の運営業務の中核を担っている。二人は開業準備段階から今日まで、ほとんど不眠不休の毎日を送っている。週休2日、9時-5時出勤があたり前の行政職員にとっては、信じられないような働きぶりだ。この二人のことを心から敬服すると共に、体を壊されないことを祈願している。

さらには、任期付き職員として開業準備にあたった専任職員達も素晴らしい。いずれもかつて「ブラック企業」と呼ばれた会社で実務を担ってきた武闘派の逸材である。課長・室長と同様に、休む暇は全くないが、持前の体力・気力と瞬時の状況判断力で、常に明るく、たくましく日々の業務に取り組んでいる。こうした人材の下で働くスタッフもまた、彼らの姿勢に引っ張られるかたちで、笑顔を絶やさず日々の仕事に全力投球している。

もう一つ側面での功労者達は、組合長はじめ出荷組合の役員の方々である。多忙な中、これまで何度も検討会に出席して頂き、現在の出荷体制を築きあげて頂いた。350名以上にのぼる組合員を常に引っ張り、団結力の高い組織づくりと、住民参加の仕組みづくりに貢献頂いた。地域では様々な問題も浮上したものと考えられるが、それを調整し続け、開業に導いた人格者達である。「官民一体となった取組」という言葉がよく使われるが、それを実現するためには、自分のことは後にして皆のことを考え行動できる地域のリーダー達の存在が必要不可欠である。

私は、道の駅「国見あつかしの郷」に、道の駅事業がめざす姿を見た。その姿を実現させるためには、明確な事業目的のもと、首長が不退転の決意で臨み、官民のリーダー達が死に物狂いで事業に取り組むことが重要である。先ずはリーダー達が姿勢を示し、めざす姿と理念を共有できてこそ、地域の多くの人々の共感を呼び、開業までの長く厳しい道のりを共に歩み、ゴールをめざせるのだと考える。