第22回 | 2017.09.11

農家の経営戦略⑤
~家族経営の法人化~

家族経営の法人化は、農業における大きな経営戦略の一つである。特に、2世代目、3世代目の若手農家の中には、経営権の移譲に伴い、法人化を考える人も多いことと思う。法人化は、農業経営の発展に向けた道筋の一つであることは間違いないが、絶対条件ではない。このテーマについては、過去のコラムや講演会で繰り返し述べてきたが、今回は「農業の経営戦略」の5回目として、再びこのテーマをとりあげてみたい。

まず、なぜ法人化するのかという目的について述べてみたい。法人化の目的は、感や経験に頼った農業経営からの脱却と、農業経営の高度化・規模拡大による地域や社会への貢献という2つが考えられる。前者は、家族経営としての規模は変えないが、計数管理をしっかりやるための法人化である。後者は、従業員を雇用し、設備・機械へ投資して、生産技術の高度化や規模拡大をめざすための法人化である。前者が第一ステップであり、後者が第二ステップとも位置付けられよう。

個人的には、前者のみを目的にするのであれば、法人化の必要性はないと考える。僅かな節税対策になったり、補助金を有利に受けられたりなどのメリットはあるが、反面、設立や税務申告などに手間暇がかかることに加え、経営の自由度が制限されることになる。このコラムの「農業の経営戦略」でこれまで述べてきたような投資計画・生産計画・販売計画や、企業的な感覚を持った農業経営は、何も法人化しなくても十分できる。

つまり、家族経営では困難な経営規模・経営内容をめざす農家のみが、法人化を考える資格があると言える。しかし、こうした法人化には多大なリスクが伴うことから、自分の経営者として資質と、現在持っている生産技術や機械・施設、資金力、販路などの経営資源を十分見極めて決定するべきである。人としての資質や経営資源などの条件を満たさない農家は、リスクの高い法人化を選択すべきではない。

法人は、融資を受けて機械・施設などの設備投資を行い、雇用者を増やし、自ら多様な販路を開拓して、一貫して右肩上がりの成長をめざすような経営方針を選択することになる。そして、農家は農業だけでなく社長業を営むことを意味する。一方、社長になるためには、努力に加え資質が必要である。社長の資質を少ない言葉で語ることは出来ないが、世間一般がいうような時代を読む先見性などというよりむしろ、底知れぬ恐怖に耐え、立ち向かえる気力・体力と行動力にあると思う。また、社長は、自分や身内のことだけでなく、会社で働く従業員の夢と生活を保障する義務を負うことに加え、農産物などの販売先、農業資材などの購入先をはじめ、様々な取引先に対する責任を問われることになる。

雑誌やテレビなどに度々登場するような、大規模農業法人の社長になっているスター農家は毎年増えている。マスコミに取り上げられることもあって、農業の法人化は、全ての農家がめざす将来像のような風潮が生まれている。しかし、私の知人であり親交があるスター農家の多くは、特別な逸材であり、その英知・胆力・努力はずば抜けていて、彼らがやっている農業は、誰も真似は出来ないレベルにある。

一方、規模拡大を前提とした法人化のリスクは多岐に渡る。そのリスクの一つは、農産物の品質の低下である。農家は、経営者である前に職人であり、技術者であり、よいもの、品質が高いものを作り続けることがプライドであろう。よいもの、品質が高いものを作り続けるには、自ら現場に立たなくてはならず、他人に任せられない作業は多い。規模を拡大する場合、雇用を拡大せざるをえないが、現場を他人に任せると、必ず品質は落ちることになる。その結果、これまでの得意先を失うこともあろう。特に高い栽培技術が求められる果実などでは、この傾向が強くなる。

成功している大規模農業法人の多くは、品質のみにこだわらない経営を選択する傾向にある。そこそこの品質のものを、実需者のニーズに合わせつつ、低コストで大量生産することを経営方針としている事例も多い。そのためには、マニュアル化を徹底的に行い、誰でもそれなりの農産物が出来るようにして、厳格な雇用管理のもと計画的な生産体系を確立することがポイントとなろう。大規模化して、作業を雇用者に多く委ねるほど、総じて商品の味は落ちる。農業に参入した企業の多くがトマト栽培にチャレンジしているが、それらのトマトがあまりおいしくないのは、こうした理由によるところが大きい。

非常に高い栽培技術があり、品質の高いおいしい農産物を作り続けている農家の所得は、必ずしも高いとは言えない。むしろ、こうした農家の方が、所得が思うほど上がらず、後継者もいないケースが多いのではなかろうか。昔ながらの家内制手工業で、ものづくりにこだわる農業を続けるのか、プライドを捨てて、法人化・大規模化して工場生産型・利益重視型のものづくりに転換するのか、それを選択するのは個々の農家の人生観によるところが大きいと思う。

法人化することにより、農家所得の定義は大きく変わる。個人の場合、「売上‐経費=所得」であり、毎年の農産物の出来・不出来や市況によって、所得はきく変動する。一方、法人の場合の社長の所得は、役員報酬という名目で、会社から定額で支払われることになる。税法上、役員報酬の金額は、決算後の定期株主総会・取締役会の議決事項であり、1年に1回しか変更出来ず、その年の売上が予想以上によくても悪くても同じ金額をもらうことになる。

また、法人化した場合、時間給制であれ、月給制であれ、優秀な従業員を確保するためには、周年雇用を実現しなければならない。そのためには、年間を通して作業量の均一化が図れるような生産・販売体系を構築する必要がある。米や果樹で法人化しにくい理由の一つは、季節によって労働量の偏重が甚だしく、周年雇用が困難なことにある。また、優秀な人材を確保するためには、社会保険制度を完備することも条件となろう。従業員を社会保険や年金に加入させるためには、支払う保険料などの約半額を会社が負担しなければならず、経費の増加を余儀なくされる。

さらに、社員を雇用した場合は、毎年の売上高は右肩上がりでなければならない。なぜなら、社員の給与は毎年増やす義務があり、その分より多くの粗利益を確保する必要があるからだ。給与が上がらない、または下がるような会社、自分の未来が描けない会社に社員が定着するはずがない。売上を増やすためには、生産規模を拡大する必要がある。また、それに伴い、機械・施設などの新たな設備投資も必要になるし、その資金を借入金で賄うことも覚悟しなければならない。

法人は常に、倒産というリスクが伴う。会社の経営内容は、よい年もあれば悪い年もある。個人の場合、悪ければ自分の所得を下げて我慢することも出来るし、身の丈に合わせて規模を縮小することも出来る。しかし、法人の場合は、「人件費の増大⇒売上・利益の増額⇒経営規模の拡大⇒設備投資の増大」が社会的なミッションであり、ひとたび歯車が狂えば資金繰りがショートし、倒産の危機に直面することになる。

ちなみに、会社が倒産した場合、会社を清算すればよく、社長本人への影響はないなどというのは間違いである。特に融資契約やリース契約をした場合、必ず社長が保証人になっている。会社が負債を抱えて倒産した場合、社長は自分の屋敷・田畑を売り払ってでも債権者に返済する義務がある。個人経営に倒産はないが、法人経営には倒産があることが、法人化の最大のリスクである。

一方、法人化することで、社会的な信用が格段にアップし、取引は拡大するであろうし、円滑な借入も可能になる。また、法人化することで、農家自身が大きく成長できること、これまでのやり方を改革できること、未来に向けて発展のシナリオが描けること、優れた人材が寄ってくることなどのメリットも発生する。

このように、法人化には、多様なリスクとメリットが混在する。法人化するかどうかは、冒頭述べたように、明確な目的があるかどうかが最大の判断基準にある。農業経営を企業経営に転換し、規模を拡大して、地域雇用を生み出す。あるいは、新たなアグリビジネスを生み出し、地域の農業構造を転換するなど、崇高な理念と強い意志を持った農家のみが、法人化を選択する資格があると言えよう。