第96回 | 2012.05.21

TPP農業再生の条件 ~日本経済新聞社説より~

日本経済新聞では先月、「TPP農業再生の条件第2部」と題して、4日連続の特集記事を組んだ。貿易自由化を契機に、これまでの矛盾に満ちた産業構造を打破し、農業も国際競争力を持った成長産業へと改革させていくための方向性を論説したものだ。

農林水産省はかねてから、農産物の輸入を自由化すれば、農林水産業の産出額は約4兆5千億円減少し、所得補償だけでも約3億円(現在の総農林水産省予算2億3千万円)が必要になると主張している。自由化により安価な農産物が輸入される訳であるから、国際競争力のない国内農業へのダメージは必至である。

人口減少社会の中で、長期的には確実に国内マーケットは縮小する。一方、国際マーケットは拡大傾向にあり、世界の農産物市場は近々2兆ドルを超える見通しである。国内需要に固執し、縮小均衡を目指した総合スーパーの長崎屋は経営破綻し、海外進出を実現したカジュアル衣料のユニクロは最高益を更新したことでも明らかなように、国内市場のみで閉鎖的な企業・産業は衰退し、海外市場に目を向けた企業・産業は成長すると力説している。

日本の牛肉の品質が国際的に高く評価され、子牛の輸出価格が高騰するなど、海外市場に進出すれば、農業のビジネスチャンスは無限に存在すると言う。農林水産省は、農林水産物の輸出を現在の2倍の1兆円に引き上げる目標を掲げているが、輸出比率は世界の最低水準である。こうした状況の中で、「農業=内需産業」というくびきにとらわれたままでは、産業自体の衰退、国際的な立ち遅れは必至であると言うのが特集記事の趣旨である。

また、この四半世紀に90兆円もの国家予算を農業に投下して来たにもかかわらず、この期間、産出額は35%減少し、農家人口は激減、高齢化・担い手不足の慢性化、耕作放棄地は埼玉県と同じ面積まで拡大した。その要因は、戸別所得補償制度をはじめとした、ばらまき政策に拠るところが大きく、農家の7割が兼業という産業構造を変えられなかったことによる。改革を阻む壁はこれらの兼業農家であり、JAをはじめとした農業団体であり、農村票をあてこむ政治家たちであると言う。

国際的には、農業は成長産業であるという認識が一般的であるにも関わらず、日本だけが衰退産業、弱小産業という固定観念が蔓延してしまっている。こうした概念を払拭し、再生に向けた動きがいくつか見られると記事は続く。その事例として、近江牛の輸出に取り組む沢井農場、輸出部会を立ち上げた日本GAP協会、農家へ投資し育成する「農林漁業成長産業化ファンド」、タッチパネルで農薬や肥料の使用量を管理するシステムを開発した熊本の松本農園などがあげられている。

以上はTPP推進派の古典的な論調であり、農業を他の産業と同じ視点でしか見ていない考え方であろう。確かに一部正論もあり、農家もJAも政治家も大いに反省すべき点はある。しかし農業は、このような経済理論だけで正しい答えが出るほど、簡単な産業ではない。先週の二の釼では、日本経済新聞の編集委員を務める吉田忠則氏の著書「農は甦る」を賞賛したところであるが、この度の日本経済新聞の特集では、吉田氏が捉えていたような農業の本質や奥深さが理解できていない記者が執筆したようで、ややがっかりした。

貿易自由化によって、最も問題になるのは「米と農村」である。完全に自由化されれば、安全で良質な米が大量に輸入されることから、やはり農林水産省の見解のように日本の米の9割は消えるだろう。現在米の生産費は1俵あたり平均13,000円程度であるが、この生産費を半分以下に抑えることができなければ、価格面で輸入米には到底たち打ちできない。コストを半減するためには、営農条件がよく基盤が整備されている大区画のほ場を対象に、大規模な営農を行う必要があるが、どれだけの地域でこのような経営が可能だろうか。

1反・2反程度の小規模ほ場や、傾斜地が多い中山間地域、道路や排水条件が悪い農地では、どうやってもこのようなドラスチックなコスト削減は出来ない。これまで進めて来た、集落営農や「人・農地プラン」などによる農地集積などの政策で、追いつけるレベルではない。農地を保全し、農村景観や農村文化を残そうと言った機運は高まりつつあるものの輸入米が流入すれば、都市農村交流や、都市部の生産緑地対策など、これまで取り組んできた政策も全て否定することになる。営農条件が悪いがゆえに耕作が放棄されるのであって、コスト削減が至上命題である以上、耕作放棄地対策なども実施する必要がなくなる。

米も輸出すれば良いと誰もが言い、その事例などをマスコミは繰り返し報道する。日本の高い価格の米は、海外では一部の超富裕層が購入しているのみであって、氷山の一角の極めて小さなニッチマーケットに過ぎず、ここに群がっても日本の米農家が食べて行けるようなビジネスになる訳がない。日本から田園風景と多くの農村集落を消し去るのか、3兆円と言われる所得補償費を国がまかなうのか、日本人としての判断が求められることになる。

和牛のように、海外のマーケットで勝負できる品目もあるだろう。しかし、輸出にあたっては、いずれの品目も構造改革とコスト削減が全体条件となる。香港で、いちごのマーケットを切り拓いたのは日本だった。しかしその後、韓国が3分の1の低価格で攻勢をかけ、あっと言う間にマーケットが奪われてしまったように、ブランド力や品質だけでは国際競争に勝てない。また、貿易が完全自由化されたなら、企業的な農家は国内での生産を辞め、他産業のように生産拠点を海外に移し、コスト削減を実現しようと考えるだろう。その場合、産業としての農業は残っても、国内での農業生産は消滅することになる。

貿易自由化と言う黒船襲来の中で、日本農業の課題・問題点が浮き彫りにされているのは事実だ。TPP推進派を否定するだけでは、問題解決にはつながらない。この度の特集記事の内容を加味し、米政策の転換、農地制度の更なる改正、企業参入の拡大、大規模生産法人の育成、食料産業クラスターの形成、流通改革、輸出の拡大などの観点から、農業再生に向けた道筋を早期につけて行く必要があろう。