第72回 | 2011.11.14

TPP交渉への参加で何が起こるのか ~分析と対策を急げ!~

野田総理は11月11日、「TPP交渉参加に向けての関係国との協議に入る」ことを表明した。反対派に配慮した玉虫色の表現であり、「TPPに参加」とすると宣言した訳ではないが、協議に入る以上、途中で抜ける訳にいかず、実質的には参加表明と捉えて間違いないだろう。無念であるが、我々農業関係者はこの事実を冷静に受け止め、中長期的なビジョンを見据え、今後の政局を予測して、早期に戦略を打ち立てて行かなければならない。

しかし、中国も韓国もインドネシアも参加せず、実質的には米国との自由貿易を意味するTPPの中で、どうやって環太平洋の経済を取り込み、日本の経済発展のシナリオを描くのかどうしても疑問である。EUでは経済統合を目指してヨーロピアンスタンダードによる経済発展を目論んだが、ご存じのようにギリシャやスペインの経済破綻により、ヨーロッパ全体が危機に瀕する事態に陥っている。米国と日本では、その国体は大きく異なる。その中で米国のスタンダードにより完全な自由貿易化を目指すことは、極めてハイリスクであると思う。

今後1年間は、米国との参加に向けた事前協議に終始するであろうし、その後各国との調整に入り、参加国全体の本格的な批准協議が始まるのは2年後。枠組みが決定し、TPPが発効されるのは3年後になるというのが一般的な見方だ。また、明らかなことは、TPP発効後、農産物の無関税化がすぐには実施される訳ではなく、最長10年間で段階的な自由化に移行するということだ。したがって、我々にとって、自由化に向けた対策を打って行くために多少の時間は残されている。また、これはあくまで私の推測であるが、過去の自由化協議の経過を踏まえると、関税は品目別に何段階かに分けて引き下げられることになり、関税率が一気にゼロになることはないだろうと考えられる。

今後官民一体となって対策を講じるためには、現状分析が重要になる。先ずは、国際相場を踏まえ、問題となっている農産物の輸入品と国産品の実質的な価格差に着目する必要がある。米の関税率は778%であるが、これは2000年頃の内外価格差をもとに算出したもので、近年の国際相場の高騰を受けて、現在はこの関税率で外国産米が輸入されている訳ではない。この点については11月12日の朝日新聞がきれいにまとめており参考になるので、以下に記載しておく。

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将来的に、無関税化を前提にした場合、国産品が輸入品に対抗するためには、品質・特徴・安全性・ブランド力で優位性を維持するか、コスト削減によって価格差を圧縮することが基本戦略となろう。そのどちらも出来ない場合、国産品は輸入品にとって代わられる運命にある。上記の品目を見た場合、米や牛肉は総合的に見て国産品の方が品質が高く、多少の優位性を持っていると言えよう。しかし中級以下の国産牛肉の場合、3倍の価格差を跳ね返すだけの優位性があるとは言えない。また、完全自由化により一般の国産品の価格が低下すると、ブランド品・高級品の価格も値下げ圧力がかかることは容易に予想される。特に問題なのは、砂糖や脱脂粉乳など、輸入品と国産品の品質差がほとんどない農産物である。品質に差がなければ、消費者が精神論だけで国産品を買い支えることはあり得ないだろう。

一方、10月に民主党政権がまとめた農林漁業の再生に向けた基本方針・行動計画では、国際的な競争力がある強い農業構造の構築を目指し、農地の集約化や経営の大規模化、及び6次産業化などを5ヵ年で積極的に進めていくことが示されている。しかし、これらの政策を進めることで、ドラスチックにコストを圧縮し、内外価格差を縮小することができるのだろうか。これを品目ごとに検証すると、かなり絶望的な見通しになる。
米の場合、美しい農村を支えてきた小規模生産者をなくし、大規模な経営体のみが残り、生産コストを圧縮して行くことが基本方針となろう。水稲の大規模化を進めるためには、基盤整備された農地の存在が必須条件であり、現在未整備の水田は耕作放棄地などにするしかない。例えば平均10町歩の耕作面積を持つ稲作経営をモデルとした場合、現在の平均耕作面積や基盤整備率などを踏まえると、米の生産者は概ね現在の1/5、耕作面積は現在の60%程度まで縮小する(残りは転作か耕作放棄)ことになる。これを今後10年間で進めることはかなり厳しい。
畜産の場合、コスト削減はさらに厳しい、肉牛も酪農も国内生産を支えているのは、専業農家と言えども飼養頭数30~40頭の家族経営である。例えこれらの農家が大規模法人になったとしても、生産者の技術に支えられた畜産経営の大幅なコストダウンは不可能に近い。さとうきびはさらに深刻である。産地の沖縄では既に相応の機械化・大規模化が進んでおり、価格勝負となればお手上げ状態になる。
価格差を縮小出来ないとなれば、後は所得補償制度の拡充しか国の農業を守る手段はないが、米だけでも2兆円の出荷額を誇るマーケットが形成されている中で、どれだけの国税投入が可能であると言うのであろうか。では、米国への農産物輸出は可能か。これだけの価格差がある中で、新潟産コシヒカリやブランド牛が米国でどんどん売れる訳がない。
結論から言えば、日本の農業は大幅に縮小し、現在関税率が高い品目については、これまで農業を担ってきた家族経営は消え、大規模法人しか残らないだろう。大規模法人でも価格差圧縮が困難ならば、その品目の産地は消えることになる。今後農林水産行政は、所得補償の段階的圧縮による小規模農家・小規模農地の切り捨て、農地の集約と大規模化・法人化への転換、野菜・果実などの地産地消システムの維持、輸出に重点を置いた6次産業化の展開などに大きく舵をとっていくものと予測する。農業という産業が大幅に縮小し、食料自給率は20%台まで低下して、5人に1人しか農家として生き残れない時代がやがて到来するだろう。

その中で農家は、生き残りをかけて自分が歩むべき道を英断しなければならない。選択肢は、①品質・コストで輸入品に負けない生産品目の再選定、②大規模化・法人化など低コスト化をドラスチックに実現できる経営形態への転換、③輸出でも勝負できる高付加価値品目の生産と販売体制の確立の3つであろう。当面、生き残りをかける農家は、米国との事前協議の内容や国の政策動向をきめ細かく分析し、柔軟かつ迅速なアクションを起こす能力が求められるだろう。私も、農業のコンサルタントとして、さらに五感を研ぎ澄ませ、5年・10年先を見据えた提言能力を高めていこうと決意を固めた。