第149回 | 2013.06.17

青い空と青い海の中に、夢の産地を見た! ~先進的農業を急ピッチで進める読谷村~

近年は沖縄の仕事が多く、頻繁にさんご礁の島に足を運んでいる。全国的に過疎化・高齢化が進み、地方の活力が低下する傾向にある中で、沖縄だけが例外だ。本土からの移住者もあいまって人口は増加傾向にあり、若者も多く、いつ行っても活力を感じるところだ。先日は、那覇から車で50分ほどの読谷村を訪問し、村内を視察する機会を頂いた。そこで、度肝を抜かれるようなすごい産地を見た。

読谷村は、沖縄の中部西海岸に位置し、名勝「残波岬」や世界遺産にも登録されている「座喜味城址」、さらには人間国宝の陶工が何人もいる「やちむんの里」など多様な観光資源を持ち、さんご礁が広がる海岸線には有名なリゾートホテルがある。人口は年々増え続け、現在4万人を超えている。岩手県滝沢村が、来年市制に移行することから、日本一人口が多い村になりそうだ。総面積は35k㎡なので約6km四方の小さい村に、緑に囲まれた集落が点在する。とても暮らしやすく、生活も便利で、若者達が村から出ていくことは少ないそうだ。村の地形は、東シナ海にまさに飛び立とうとする鳳(おおとり)に似ており、鳳は村のシンボルマークになっている。

読谷村の歴史は、軍用地の返還の歴史でもある。読谷村は、第二次世界大戦終了直後は、ほぼ100%米軍の占領地であった。その後長い期間をかけて、軍用地は段階的に村に返還されるようになる。返還された土地は、農地として利活用することが村の一貫した政策であった。しかし、降水量は多いが雨量は一定せず、島尻マージという保水性が低い土壌であることから、さとうきびしか出来ない村だった。この状況をドラスチックに変えたのが、1994年に完成した長浜ダムである。返還された軍用地を土地改良事業により、長浜ダムからの灌水で優良な畑地へと着々と変えていった。畜産業も盛んなことから耕畜連携により、土壌は年々豊かになった。現在の耕作面積は800haを超え、耕作放棄地はほとんどないという。「読谷は農業で生きていくんだ」という決意のもと、多くの困難を乗り越えて、一環して農業基盤の整備を進めて来た先人達の情熱と実行力に心から敬意を表したい。

近年は飛行場跡地も返還され、そこに役場・文化ホール・中学校が建設されて村の心臓部となっている。また、現在建設中の高規格道路沿いには、JAの大型集出荷場や直売所が整備された。そしてこのエリアでも、当然農地整備が進められている。農振農用地に指定し、台風が来てもびくともしないハウス団地を、いくつかの工区に分けて、次々と整備している。一つの工区は10ha以上もあり、見渡す限りのハウス団地が立ち並ぶ景色は圧巻である。返還された農地は、農地保有合理化事業を使って村が農地に換えて保有し、一括交付金などの財源でハウスを建て、地域の生産者や農業法人などに売却または貸し出すという仕組みである。

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(役場の屋上から見る軍用地跡地の開発風景)

余談になるが、一括交付金という制度をご存知だろうか。一括交付金とは、地方への権限委譲の手法として民主党政権下で始まった制度で、従来の補助金とは異なり省庁横断的に一括した財源を確保し、その使い道は地方自治体に任せるという財政政策である。沖縄県だけを対象とした制度ではないが、基地問題などから沖縄へは優先して財源が投下されることになる。平成24年度の交付実績は1,575億円で、そのうち300億円以上が市町村に分配される。読谷村にも10億円以上が降りてきて、これを財源に農地整備・ハウス整備が急ピッチで進められている。

主な作物は、マンゴー、パパイア、ゴーヤ、オクラ、いんげん、紅いも、にんじん、小きくなどであり、今後10年間は期待できる一括交付金を活用して、作物別に団地化していこうという構想である。図面を見て驚いたが、いずれの工区でも、長浜ダムから引いた水を、各ほ場まで細かいメッシュで灌水できる構造になっており、集積された完璧な畑作地帯が出来上がることになる。おまけに台風にもびくともしない、高架屋根のピカピカの鉄骨ハウスだ。役場周辺だけでなく、海岸線にも同様の計画があり、完成したら国内でも屈指の大産地が登場することになる。

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(急ピッチで整備が進むハウス団地)

また、販売面ではJAが力強く動いている。すでに大型の集出荷施設が整備されたが、ここを基点とし、現在整備中の高規格道路を使って、那覇空港まで30分以内で到達する。ここら本土へ空輸すれば、鮮度の高い農産物を収穫当日に、全国の主要市場へ持込むこともできる。沖縄では亜熱帯の気候を活用して、本土では生産できない時期に生産することができる。春先から出荷できるオクラやいんげんなどは、その典型であり、品質の向上に伴い物流費をカバーするだけの高値取引を実現している。

軍用地時代からの地権者との調整や、観光地としての開発圧力などもある中で、農振農用地として指定して、内外に農地以外には活用しないと宣言している点も、役場の不退転の意思を感じる。また、先進的農業支援センターという研修施設を村が整備しており、ここには、新規就農者が研修できる約2haのハウス棟があることに加え、土壌分析やクローン苗の研究施設、規格外品の紅いもを焼却処理して土壌改良剤を生産する施設なども存在し、村が農業振興にかける迫力を感じることができる。

このような夢の産地であるが、いくつかの懸念も感じる。一つ目は、農業のマスタープランがないことだ。読谷村は、がんがん農業振興施策を進めている。しかし、5年後、10年後、どのような農業・農村を目指していくのか、どこまでの結果を求めていくのか、そしてその道筋としていつまでに何をやるのかという中長期ビジョンが不透明である。時代を超えて、高い理想を持った優秀な職員が、これまでやってきたことに間違いはない。しかし、次世代を担う職員達の指針となるビジョン、地域の農家と共有できるビジョンの作成は喫緊の課題であると感じた。

もう一つは、生産者及び生産者組織の育成である。これまでは、行政主導型、ハード先行型の産地づくりであったことは否定できない。そこで、地域の生産者には、「村が全てやってくれる」、「村は何かやってあたりまえ」という感覚が蔓延する恐れがある。基盤は村が作った。生産者は、これを利用して先進的な農業を実践し、自立を目指さなければならない。折に触れ、こうした意識啓発活動を実施していく必要があろう。また、現在村が整備する農地やハウスの受け皿として、いくつかの集落営農法人が設立されているが、法人経営の安定と高度化、経営者の育成なども今後の取組課題となろう。

丸一日、村を案内して頂き、職員の話を聞き、まさに夢に見た産地が読谷にあると確信した。そこにあるのは、青い空と青い海だけではない。読谷村は、先進的農業の取組により、地場に密着した力強い産業を創造しつつある。戦後の幾多の困難を乗り越え、真の自立に向けた確かな足音を、美しい南の大地で聞いた思いがした。