第294回 | 2016.09.05

農業の成長産業化と地域政策のあり方
~農林水産省の平成29年度概算要求から~

小池百合子知事が、築地市場の豊洲への移転延期を決定した。流通研究所はこれまで、中央卸売市場の経営展望基本戦略の策定業務や、農水産物の流通戦略・ブランド戦略の策定業務などを行ってきたことから、都庁にも、築地市場にも数多くの人脈を持っており、他人事とは思えない問題である。私はかねてから、政治批判はしない主義であったが、この度の都知事の決定は強い憤りを感じる。

都の職員も築地市場の関係者も何十年に渡り、つばを飛ばし合って議論し続け、胸倉をつかまんばかりの対立を繰り返し、膨大な時間と作業量をかけ、ようやくその決着を得て、豊洲への移転を目前に迎えていた。そんな人々の人生を無視するかのように、新都知事は延期を打ち出した。安全性に関する最終調査結果が出る来年1月以降に移転は延期という結論であるが、ハード面の見直し論議などが持ち上げれば、移転は2~3か月程度の延長ではなく、2~3年先になるのではないかと考えられる。

都に限らず、全国の自治体でも、首長が交代すると、新たな首長が先ずやることは、前首長がやってきたことの否定である。その結果、多くのプロジェクトが見直し・延期、あるいは廃止に追い込まれている。「民意を受けて当選したのだから」、「それが選挙公約だから」というのが新たな首長の言い分だ。しかし、これまで苦労を重ねてきた当事者達の思いと、事情をよく知らない一般の有権者の思いには当然温度差がある。有権者の支持を理由に、当事者達の思いを踏みにじり、ほぼゴールに近づいたプロジェクトを直前でひっくり返すだけの権限が、はたして首長にあるのだろうか。それが政治であると言われてしまえばそれまでだが、そんなことが許されてよいのか個人的には疑問を持つ。

さて、気を取り直して、本日は、農林水産省の平成29年度の概算要求の内容についてコメントしてみたい。安倍政権になってからの農政は、「農業の成長産業化に向けた構造改革」という基本路線で一貫して進んでいる。来年度の概算要求の内容を簡潔で言えば、これまでの「既定路線の強化と重点事業の絞り込み」と表現できる。その点では、先に述べたような不条理な政策転換はなく、それなりに納得できるものと評価できる。

具体的には、先ずは、農地中間管理機構を活用した農地集積・集約化の加速に力を入れる方針で、農地の出し手に支払う機構集積協力金、受け手のための基盤整備費共に大幅に増額し、平成今年度予算の2.2倍である344億円を要求している。また、新規就農・経営継承総合支援事業を改め、農業人材強化総合支援事業に統合して強化することで、担い手の確保・育成に努める方針である。担い手への農地集積、担い手の大規模化・法人化の路線をさらに加速する狙いがあると言えよう。

数少ない新規事業としては、水田地帯の野菜産地化のために、栽培技術の確立や機械化を支援する野菜生産転換促進事業があげられる。一方、民主党政権下で大幅に予算が削られていた農業農村基盤整備費は、農山村地域整備交付金などの関連事業を含めると、対前年比で約20%と大幅な増加となり、総額4,584億円を要求している。また、主食米から飼料用米などへの作物転換を助成する水田活用の直接支払交付金も3,322億円と1割弱の増額である。平成30年度産の米の生産調整の見直しを見据え、来年度は米依存型産地からの転換を本格的に加速させることが目的であると言えよう。

ちなみにTPP関連事業は、当初予算としては概算要求をしていない。米国の大統領選の結果などを踏まえ、TPPの趨勢が明らかになってから、年度末の予算編成までに必要額を別途要求する方針である。その代わり、現時点で予算化出来るものは、今年度の補正予算に盛り込んでおり、機械化や施設整備を進める産地パワーアップ事業や輸出推進のためのネットシステムの整備事業など、TPP関連予算として3,453億円を計上する方針である。

このように、国の農政のベクトルは明らかである。平たく言えば、国際的な競争力を持ちうるような大規模農家や農業法人、及び未来を担う新規就農者に対して予算を集中投下し、稲作にしがみつく小規模農家兼業農家や高齢農家の離農を加速させるということだ。現実的に、農家の高齢化率は甚だしく、後継者が不在の農家が多い中で、黙っていても10年後の農家戸数は現在の半分近くにまで減少することが予想される。現政権の施策は、やる気のある大規模農家などを増やし、その経営体質を強化する一方で、10年後の農家戸数は半減ではなく、1/4などへとさらに減らしてしまおうという考えが根底にあると思う。

これまで、主穀作に対する助成は厚く、過去10年間でこれだけ米価が下がったにも関わらず、小規模農家であっても国の制度に乗っていけば、それなりの所得が確保できた。その結果、構造改革は比較的ゆるやかな進捗に留まって来たと言える。しかし、市町村にとっては、そうした小規模農家・高齢農家もそこに定住し続ける市町村民であり、地域農業の担い手・農地の守り手である。国は、こうした農家を切り捨てると暗に断言している中で、市町村はどのような農政を進めるべきであろうか。

基本的には、大規模化・法人化をめざす農家の支援は国に任せる。その反面、国の制度に乗れない小規模農家を独自の施策で拾い上げるという選択をする市町村が多いようだ。市町村にとっては、大規模農家や新規就農者のみを支援することは出来ず、全ての農家を守る義務がある。しかし、そのやり方によっては、市町村の政策が大規模農家への農地集積の足かせとなり、国の政策に逆行する結果を招くこともあろう。

ちなみに、地域の農家組織であるJAも、行政と同じような立場にある。小規模でも高齢でも農家は皆JAの組合員であり、JAはすべての組合員を平等に守る義務がある。国がJAを目の敵にするのは、こうした背景から、JAが、国が進める構造改革を阻止しようとする抵抗勢力そのものに映るからだ。

市町村も地域JAも、農政に投下できる予算規模は国の予算規模には遠く及ばず、独自にやれることは限られている。したがって、基本的に国の方針に沿って、国の予算を農家にうまく還元させていくことが基本となろう。その一方で、昔のように国の潤沢な農山村の活性化事業が存在しない中で、今農業を営みながら定住している市町村民を、経済的にも精神的にも少しでも豊かにできる施策を打つことが、地域農政の役割であろう。改めて、地域農政の推進理念を明らかにした上で、選挙などでぶれることがない一貫した施策を打ち続けて欲しい。