第112回 | 2012.09.10

農業の国際化を考える 海外での生産拡大で、未来はどうなる?

私は20歳代の頃、青年海外協力隊に参加し、中米のホンジュラスという国で、農村開発にかかわる活動をしていたことがある。活動のフィールドは、標高2,000m、人口2,000人、「エスペランサ(スペイン語で「希望」と言う意味)」と言う名の村でだった。当時、その地域では、主食のとうもろこしと副食のまめ、そして換金作物であるじゃがいもぐらいしか農産物は作っていなかった。貧しかった村民の食生活は、かなり偏っており、いわゆる緑黄色野菜はほとんど食べていなかった。医療を受けるお金がないこともあり、平均寿命は50歳以下、特に乳幼児の死亡率が非常に高かったと記憶している。

私はこれでも、若い頃は国際通を自称しており、東南アジアや中南米を中心に、20カ国近くの国々を回って歩いた過去がある。発展途上国が中心であったが、いずれの国も農産物の生産力が貧弱で、食文化が貧しいなと感じた。日本に帰って来ると、改めて農産物の種類の多さ、品質の高さ、そして食文化の豊かさを痛感し、日本人でよかったと心から思ったものだ。しかし、あれから20年以上が経ち、当時発展途上国と言われていた国々は、新興国と名前が変わり、その経済発展は著しいスピードだ。発展に伴い現在は、食に対する意識や食事の水準は格段に上がっていると考えられる。昔から、いずれの国にも富裕層と言われる人々は存在したが、経済発展によりその規模も質も向上し、大きなマーケットを形成しつつある。

こうした背景を踏まえ、TPP参加論議をきっかけに、東南アジア向けの農産物輸出を進める動きが加速している。全国の農業関係者は、貿易自由化はむしろチャンスであり、海外には無限大の市場が存在すると意気込む。しかしその一方で、日本で生産して海外に輸出するのではなく、海外で生産して海外で販売すると言う、農業の国際化の動きも加速している。前者は日本の農業振興に大きく貢献するが、国内では付加価値を生まない後者の場合、日本農業への貢献度は高いとは言えない。

何度もマスコミに登場している新潟の玉木氏は、米の台湾への輸出を軌道に乗せた後、2010年に現地の生産者と共に米の生産を開始した。そして来年は中国の東北地方での現地生産を計画している。富裕層には日本の米を販売し、広がりつつある中間層には現地生産の米を販売すると言う。

稲作の大規模生産で有名な新鮮組は、タイの大手ビールメーカーと資本提携し、現地でコシヒカリの生産を開始した。今年は16haで試験栽培し35トンを収穫した。品質についても日本並みの評価を得て、60kg当たり1万円と言う高値販売をタイで実現した。現在台湾の流通企業などから引き合いがあり、タイで生産して他国へ輸出する目算がつきつつあると言う。3~5年後は、8,000ha前後まで生産規模を拡大し、欧米の日本料理店などへ販売する計画だ。

同じく名古屋の農業生産法人秀農業は、中国上海市でいちごの栽培を手掛けている。日本の病虫害の防除技術や選別技術などを導入し、栽培・出荷管理を徹底して品質を高めた。現在は日系の製パンメーカーや日本人駐在員向けに、中国産の2~3倍の価格で販売していると言う。

以上3つの事例は最近の日経新聞からの抜粋であるが、その中でも度肝を抜かれた記事は、私が懇意にしているファームドゥの岩井社長が、モンゴルで農産物生産事業を始めたことだ。現地の食品スーパーと資本金1億円の合弁会社を設立し、何と、首都ウランバードル近郊にある約10万haの農地で、野菜や果実を栽培し、合弁相手のスーパーで販売する。2013年には水道設備やビニールハウスなどの設置工事を終え、2014年には収穫までこぎつける計画である。

ファームドゥについては、このコラムでも何度も取り上げているので、読者の多くが知っていると思うが、この企業は群馬県に本社を置き、群馬・埼玉・東京に直売所を約30店舗チェーン展開していることに加え、農業生産法人を傘下に持つ異色の企業である。岩井社長から、以前から個人的にこの話は聞いていたが、正直なところ、こんなに早く成し遂げるとは思っていなかった。

「岩井さん、何でモンゴルなんですか」と以前質問した時、岩井氏は「モンゴル人は野菜を作らないし食べないから短命なんだ。だからモンゴルで野菜生産と言う産業を興し、モンゴル人に野菜を食べるようになってもらいたい」と語っていた。今後はODAの活用や青年海外協力隊の派遣なども視野に入れながら、日本政府との連携も進めて行くそうだ。国境を越えた彼の正義感や社会的使命感が、この事業に駆り立てたのだろう。岩井氏の空を突き抜けるような崇高な理念と、何をも恐れぬ行動力に改めて深い畏敬の念を持つばかりである。

農業の国際化と言うキーワードは、農産物の輸出と言う段階を飛び越え、多国籍企業化の段階へと一気に飛躍しているように思う。日本の農業技術が海外で活かされることは日本人として名誉なことであり、国際的な正義である。しかし、こうした国際化によって国内の農業はどうなるのであろうか。技術の移転に伴い、東南アジア諸国の農産物の品質は向上することから、国産農産物のブランド力は相対的に低下し、輸出に資するだけの価格優位性は崩れる可能性がある。そして、工業製品が辿った道と同じように、海外への技術移転により海外での技術力が高まり、将来的には安価で高品質な農産物が日本に輸入されることになりはしないだろうか。技術移転と海外現地生産による農業の国際化がブーメラン効果となるか否かは、現地での生産力と市場規模・購買力による。現地で生産された農産物は域内で消費されることが環境・経済の両面から見て望ましいだろう。この農業の国際化が日本農業の崩壊につながらないよう祈りたい。