第297回 | 2016.09.26

農村地域のコミュニティのあり方を考える
~曽比稲荷神社祭礼準備より~

毎年恒例の、私の地域の祭りである「曽比稲荷神社祭礼」が、来る10月8日(土)に開催される。当日の午前中は、子供神輿・本神輿が地域を練り歩き宮入をめざす。午後には、屋台が多数出店する中で、子供の奉納相撲や地域芸能の発表会、ビンゴ大会や抽選会などが開催される。地域の子供から高齢者までが一堂に集まる数少ない行事だ。私は祭礼委員として子供関連行事の責任者を長年務めており、この時期はその準備で多忙を極める。

私は、この祭りを愛してやまない一人である。子供達の笑顔があふれ、長老達はお神酒を飲み交わしながらお互いの健康を祝い、そして五穀豊穣を神に感謝する。その一日は、田園地帯の小さな杜に囲まれた神社という空間が、地域の人々の熱気と歓喜に包まれる。私は、自分が生まれ育ち暮らす地域の人々の、そんな様子を見るとき、とても幸せを感じる。実行委員として朝から晩までバタバタと動き回る一日は、反面、年に一度、地域のことを改めて心から愛おしく思う時間でもある。

祭りの実働を担う祭礼委員会は、十数年前に地域の有志で立ち上げた。それまでは、青年会が主体となって行っていたが、メンバーの青年たちが全員40歳を超えてしまい解散。その後は5つの自治会で構成する協議会が担ったが、あまりに手間暇がかかることから嫌厭ムードが高まったことに加え、政教分離の観点から自治会が神社祭りを主催することに反対する役員まで現れた。いっそのこと、神社祭りなど辞めてしまおうという風潮が強まる中で、志の高い先輩方と今の実行体制をつくりあげた経緯がある。

私が暮らす地域は、戦国武将の先駆けである北条早雲が開拓に取り組んだと言われる地域で、先祖たちが酒匂川という2級河川がもたらす水害と戦いながら、これを豊かな水利に変えて美田に変えてきた歴史を持つ農村地帯である。しかし、私の子供の頃から徐々に開発が進み、今や非農家が大半を占める地域へと変貌している。

一昔前までは、自治会長を務める者は、田を1町歩以上持っていることが最低条件だと言われた。農家による農家のための自治会であり、そこでの協議事項は、道普請や農業用排水の江ざらい、河川敷の草刈りなど、農業に関連するものが多かった。その後、都市化の進展の中で、非農家戸数が農家戸数をはるかに上回るようになるが、自治会長や役員達は、地域の名士ということで農家達が担い、農家による非農家のための自治会という構図に転換した。そして現在は、農家の減少・高齢化の中で、非農家による非農家のための自治会へと変化している。

それは悪いことではないし、時代の流れの中で当然のことである。私の地域でも、どの自治会も立派な人物が自治会長に選出され、滞りなく自治活動が営まれている。しかし、農家による農家のための自治会と異なり、価値観が多様化し、共通の課題意識が希薄化する中で、地域にとって大切なものを忘れかけているのではないかと懸念する。例えば、農地も用排水も農道も、そして神社も農家のためだけのものでなく、地域にとっての共通の財産であるが、そこに関心を持つ住民は少なくなっている。実際、河川の草刈に参加する者は高齢の農家ばかりであるし、私達の祭礼委員会のメンバーも高齢化が進み、若手の加入者はほとんどいない状況である。

私は、神社祭りを通して、地域のコミュニティの維持に少しでも貢献できればと考えている。そして、農村地域の象徴であり、拠点である神社という空間に皆が集うことで、自分が暮らす地域を見直し、地域活動に参加するきっかけづくりになればよいと思ってきた。それが、貧乏暇なしで多忙を極める私が、祭りに情熱を傾ける最大の理由である。また私は、祭礼委員会の諸先輩方が大好きだ。この祭礼委員会のメンバーが私にとって地域コミュニティの核であり、毎年お互いの健勝を祝いながら一緒に取り組める喜びが、大きな原動力になっている。

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(祭りの準備の様子)

祭りの開催にあたっては、祭礼委員会が核となり、地域にある6つの自治体と3つの子供会が共同で開催する仕組みを作ってきた。自治会の役員の方々には準備の段階から参加頂き、各自治会長には当日の子供相撲の審判をお願いし、子供会の役員のお母さん達には、子供関連行事の企画から当日の進行全般に携わって頂いている。このような体制をとることで、地域全体で取り組む行事として、定着させることに成功した。

また、この祭りでは、特に子供の参加に重点をおいている。毎年、子供会と自治会を通して全戸に回覧し、子供関連行事への参加者を広く募る。我が地域でも少子化が進んでいるが、昨年の参加実績は、子供神輿約100名、子供相撲約60名、ビンゴ大会約130名であり、参加率はかなり高いと言える。子供にとって、祭りの行事の全てが非日常体験であり、祭りを心から楽しみにしている子供達も多いようだ。

そんな子供達もやがて大人になり、私の娘や息子のように、その多くがこの地域から出ていくことだろう。しかし、この先どこで暮らしても、祭りでの体験を通して郷土のことを思い出し、愛すような大人に成長して欲しいと願う。そして、出来ればこの地域に帰ってきて、祭りの、そして地域の次世代の担い手になって欲しいと願う。ちなみに昨年から、「お前たちが次世代の地域の主役だ」という思いで、祭りを体験した若者達を対象に、本神輿を担がせるというプロジェクトを開始した。

こんな活動を通して、改めて農村地域のコミュティのあり方について考えることが多い。過疎化が著しい中山間地域、私の地域のように都市化が進んだ地域など、農村の特性によって課題は異なるが、共通していえることは、農家の減少と高齢化が加速する中で、農家だけではもはや地域コミュニティは守れないということだ。農村のコミュティを維持し、新たな守り手を確保・育成するためには、例えば神社祭りなど、地域住民が幅広く募り、共に準備・開催・片付け作業に行う場や機会をつくり、農家から非農家へ、高齢者から若者へ、地域の文化を丁寧に伝えていくことが大切だと思う。

かつては力自慢で、「祭りの力仕事は俺にまかせろ」と、誰より体を動かしてきた私も、かなりいい歳になってきたが、未だにメンバーの中では「若手」である。年々体も頭も運動神経が鈍ってきている中で、今日の祭りの準備でも、バランスを崩して脚立から転落したり、細かい配慮を怠り先輩方に叱られたりと、やや自信喪失気味ではあるが、これからも可能な限り、敬愛する諸先輩方と共に、郷土のコミュンティづくりに力を注いでいきたいと思う。