第92回 | 2012.04.16

農山村は国民の宝 ~小田切教授の話から~

先日、明治大学農学部出身である弊社の荒井と一緒に、農山村政策の第一人者である明治大学の小田切教授のところにご挨拶に伺った。小田切先生は、昨年度ヨーロッパ各地で研究を重ねられ、この4月から教壇に復活された。7~8年ぶりの再会であり、会う前からとても楽しみにしていた。非常に多忙な中、時間を作って頂いたことに深く感謝している。

その折り、とても興味深いお話を伺った。農山村政策の先進国と言われるイギリスでは、現在農山村への関心が急速に高まっており、農山村への定住を希望する人々が順番待ちの状態であると言う。イギリス人にとって農山村に定住することはステータス以上の位置付けにあり、リタイヤ組だけでなく、比較的若い家族層なども農山村での強い定住志向を持っているらしい。こうした志向を持つイギリス人は、やはり富裕層が中心だが、その裾野は広がりつつある。都市部からの移住者は、単に田舎暮らしを満喫するのではなく、地域の活性化に向けた中核的な役割を担っている。イギリス人は、強いあこがれというだけではなく、真に農山村の価値を認識するに至っており、農山村に暮らし、自然・資源を守り、貢献して行くことが、国民としての義務であり誇りであると考えているようだ。こうした動きは単なる一過性のブームではなく、今後も持続的に拡大するトレンドとなっていくと考えられる。

ではなぜ、このような現象が起こっているのであろうか。小田切先生の説明を、私なりに解釈してみた。イギリスは、世界に先駆け18世紀の末に産業革命が生まれ、資本主義が骨の髄まで浸透した国だ。その結果早くから、ブルジョワジーとプロレタリアートという2つの階層への分化が進み、かつ都市部が農村部を従属する社会構造が生まれた。しかし、産業重視の資本主義が限界まで進化した現在、こうした社会構造もまた限界を迎えることになった。人の価値観は、物的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさへと移り変わって来ている。農山村は、生命の源である農産物を生み出し、自然を守り資源循環を営むなど、多面的な機能を持った、精神的な豊かさの象徴である。こうした背景からイギリスでは産業革命から2世紀を経て、ようやく農山村における真の価値が国民に理解され、農山村への定住願望が醸成されて来たものと考えられる。

さて、我が日本は、この先どうなるのであろうか。小田切先生に尋ねたところ、日本人がイギリス人のような価値観を持つには、あと100年かかると言われた。日本はイギリスより約100年遅れて産業革命が起こり、その後経済至上主義のもと、100年以上の時代を刻んできた。近年日本人の価値観は少しずつ変わって来ているものの、人類が本来持つべき精神的な成長は遅れており、後進国と言わざるを得ないだろう。それゆえ、経済至上主義であるTPPへの参加に対しては、国民の約7割が賛成と言った現状にある。自分たちが経済的に豊かになれば、農山村は崩壊してもかまわないと日本人は考えている。いや、TPP参加によって、農山村がどうなろうと、関心さえないという低いレベルにあると言えよう。

世界でも類を見ない美しい農山村、人々が助け合う協同社会として日本人の精神の原点である農山村が、このような低い精神レベルの中で、この国からなくなろうとしている。日本から田園風景が消え、食料のほとんどを海外に頼るところまで行かなければ、そしてこの先100年間も社会学習をしなければ、日本人は農山村が持つ価値に気付かないのであろうか。イギリス人から見ると、日本人は精神的に極めて貧しい国民として映るだろうし、日本は心が未発達な国であると笑われることだろう。

話は変わるが、農業・農山村の一体的な発展を促す中核的な組織として、私は集落営農に期待している。農林水産省は、この4月5日に集落営農実態調査に関するリリースを発表した。その概要は、以下のようなものであった。

集落営農数は、前年に比べ93(0.6%)増加し、14,736となり、そのうち法人数は2,581で前年に比べ249(10.7%)増加し、全体に占める割合は17.5%となった。全国農業地区別に見ると、東北が3,389と最も多く、次いで九州(2,587)、北陸(2,298)の順になっている。集落営農に参加する農家数別の割合では、10~19戸で構成される集落営農が25.5%と最も多く、次いで20~29戸(20.5%)、50戸以上(18.8%)の順になっている。農地の集積面積(経営耕地面積+農作業受託面積)では、20ha以上の集落営農が52.5%と過半を占めている。具体的な活動では「機械の共同所有・共同利用」が77.6%と最も多く、次いで「農産物等の生産・販売」が72.6%、「集落内の土地利用調整」が59.9%となっている。さらに、戸別所得補償制度に加入している集落営農数は9,811となっている。

これまでも、農業者所得補償制度と規模拡大加算、農地・水・環境保全向上対策、水田・畑作経営所得安定対策、中山間地域等直接支払制度、耕作放棄地再生利用緊急対策、経営体育成促進事業など、集落営農の設立や活動の活性化に向けた様々な施策が打たれて来た。その結果、確実に集落営農活動は活発になってきているというのが調査結果の総括であろう。

しかし、そのほとんどが集落内で自助努力を促進する施策である。今後は、農地法等の制約はあるが、これまでの「都市農村交流」と言う応援団的な活動への支援ではなく、都市部住民が農山村へ定住し集落営農の中核的な人材になる、あるいは企業が集落営農に直接投資するような、主体的な参加を期待したい。また、このような多様な個人・法人の参加のもと、営農活動だけでなく、地域の商工業や観光、文化や福祉等まで活動の幅を広げ、農山村の活性化を担う組織へと発展することを期待したい。震災をきっかけに、東北地方では同様な思想で実証的な取り組みが始まっているし、山村対策では大企業がファンドを創り山林に加え地域全体を保全・育成して行こうとする動きも見られる。このような仕組みづくりにより、都市部と農山村との距離を縮まり、国民全体の精神的な成長を加速することになるのではないかと考える。

これまで、何百年にも渡り、早苗植えわたる初夏の風の中で、あるいは脱穀の香りが村包む秋の実りの中で、共に汗をかき喜びを分かち合ってきた農山村は、今、経済至上主義社会の中で、苦悩しつつ、新たな協同社会のあり方を模索している。育ちつつある集落営農という組織を核に、新たな視点の施策を盛り込むことで、農山村再生の萌芽を育めないだろうか。100年後ではなく、私は生きているうちに、この国の未来が変わる胎動を聞いてみたい。