第261回 | 2015.11.24

訪日観光客をターゲットとしたアグリビジネスを考える ~  成長産業化のシナリオを描け ~

前回のコラムでは山本謙治さんの最新著書「激安食品の落とし穴」を紹介した。日本人の内食化率が低下し、安い食べ物ばかりを求める風潮を受け、人の身体にも生産者にも悪影響を及ぼす激安食品が世の中にはびこり、日本人の味覚と、本来あるべきこの国の食文化や農水産業が崩壊に向かっている状況についてコメントした。

私は若い頃、海外十数か国を旅してその国々の様々な料理を食べ歩いたことがあるし、中南米では2年ばかり暮らしたことがある。そこで悟ったのは、日本が培ってきた食文化と、それを支える農林水産業の技術力、それを生み出す農業・農村の美しさ、そしてそれらをつなぐ流通システムや加工技術などの水準が、国際的に見て群を抜いて高いということだった。日本人は知らないうちに、こうした国の宝に対する畏敬の念を忘れ、むしろ自らこの宝を壊しつつあるといえよう。

一方、又聞きではあるが、在日韓国人の内食化率は極めて高く、首都圏でも居住者が多い地域では、八百屋の主なリピーターは在日韓国人であるという。韓国人は自宅でキムチを漬けることから、はくさいを丸ごと買っていくなど、購買意欲は旺盛である。もしかすると、外国人の方が日本人より、食に対するこだわりが強くなっていて、日本の食文化とそれを産み出す産地などへの関心は強いのではないだろうか。

弊社も様々なお付き合いをしているJTB西日本はこの度、訪日外国人を対象とした食の体験型ツアーを開始する。全国の産地と連携してアジアで高級果物などを統一ブランドで販売し、興味を持った富裕層などを対象に産地などを巡る訪日ツアーを売り込む。訪日客は増加傾向にあるが、訪問先は大都市に限定されているのが実状である。そこで、食の魅力満載の地方(産地)をPRすることで、訪日観光の新たなマーケット創造と地域の活性化をめざしていく方針である。

日本経済新聞によれば、JTB西日本は手始めとして、イオンの現地向けネット販売システムとヤマト運輸の国際クール宅急便を活用し、香港向けに京都府丹後市で獲れた高糖度の梨を販売する。現在、沖縄、青森などの生産者とも交渉しており、「ジェイズアグリ」の統一ブランド名で、順次商品数と販売量を増やし、早ければ年内にはシンガポールへの販売にも着手する予定である。

また、農産物輸出を通じた産地との連携を、観光分野にも広げ、新たな訪日向けのツアー商品を開発する計画である。輸出した農産物に付けたQRコードを読み込むと、生産者のこだわりや産地の観光情報が入手できるようにすることで、訪日動機を喚起させる。その第1弾として、来年1月から丹後市の農園での味覚狩りと高級カニの食事、温泉などを組み合わせたツアーを販売する予定である。JTBは来年の春までに同様のツアーを10コース、再来年の春までには30コースに増やす計画だという。

訪日観光客は、東京や大阪など大都市に滞在するケースが多く、東京オリンピックを6年後に控える中で、大都市部の宿泊施設の不足が懸念される。一方、地方は総じて受け入れのキャパシティがまだまだ残っており、訪日観光客を地方へ誘客して地域の活性化に結び付けていくことは、地域戦略の目玉となろう。特に日本の果実は、他国の追随を許さないほど高い生産技術を持っており、その品質の高さは国際的にも群を抜いている。一度その味を知った外国人は、日本への憧れを更に増すに違いない。

今年の7月には、近畿農政局では、関係者が一体となって、戦略的にインバウンド需要を農業者・農業地域に取込むことで地域の活性化を図ることを目的に、「近畿の食と農インバウンド推進協議会」並びに「同企画委員会」を設置したところである。既に、京都おぶぶ茶苑合同会社による茶園を活用した農作業や試飲等の体験ツアー、JA紀の里のめっけもん広場による直売所の免税店の登録、農業法人株式会社秋津野による都市農村交流における訪日外国人の受入などの取組みが始まっており、これを広域的、かつ産業横断的な活動へと拡大していこうという狙いがある。

農林水産省でも、インバウンド関連の新規事業を、来年度予算の概算要求に盛り込む方針を示している。日本の食は、訪日外国人の最大の楽しみといわれており、訪日の大きな動機になっているが、国産農産物の需要や輸出の拡大、食材を生産する農山漁村への訪問などには結びついていないのが実状である。そこで「食によるインバウンド対応推進事業」では、食と景観が一体的になって魅力を生んでいる地域を「食と農の景勝地」として情報発信する他、飲食店での外国語の対応などを支援する。また、「農山漁村の宝発掘・活用人材創造事業」では、農山漁村での外国人の受入体制を整備するため、人材育成のための研修や専門家の派遣などを支援することを明示している。

政府は農林水産業を成長産業へと転換するという。しかし、人口減少社会の中で、国内需要のみを対象とした産業に成長はありえないし、成長産業化という言葉も単なるアドバルーンに終わってしまうだろう。成長産業化を実現するためには、新たな需要開拓が必須条件となる。その意味で、インバウンドという新たなマーケットへの対応は重要になる。

新たな需要開拓というと、誰もが輸出を第一にあげるだろう。しかし、再三このコラムでも伝えてきたように、農産物の輸出拡大は総じて困難な状況にある。経済学的に考えると、輸出が成立する前提条件は、輸出先国の国産品の販売価格より安い価格で輸出できるという、国際的な価格優位性にある。品質やブランド力などの非価格要因も国際競争力の一端を担うが、自動車や貴金属と異なり、比較的安価で食べ物である農産物で、非価格要因で勝負することはハードルが高い。海外で和食店が増加しており米の需要も拡大しているが、生産費で圧倒的な価格差があり、海外でも相応の品質のコシヒカリの生産が拡大している昨今、まともなやり方では国産米の輸出には限界があろう。

そこで、輸出とインバウンドをセットで考え、中長期的な視点からじっくりと多面的・重層的な取組を継続し、日本の食と食材の圧倒的なブランド力をつくりあげていくことが肝要である。農産物の場合は、検疫などの関係上、家電製品や雑貨のように、訪日中国人がバク買いして持ち帰ることは期待出来ない。また、地方の観光地化については、受入体制の整備などに時間を用することから一気に加速することも考えにくい。しかし、訪日外国人を対象した小さな仕掛け、小さなビジネスを積み重ねていくことで、やがて大きなマーケットへと成長していくものだと考える。