第106回 | 2012.07.30

規制制度のあり方を考える ~生レバー問題より~

先般生レバーの禁止が話題になっている。実際にこの7月からは全ての飲食店や食肉販売店での生レバーの販売が禁止され、消費者もレバーを食べる際には中心部まで十分に火を通すことが義務付けられた。賛否両論が沸き起こった今回の食品、添加物などの規格基準の改正であったが、かく言う私も、生レバーは好物で個人的には非常に残念に思う。今回の禁止措置についてはこういった私怨も含めながら、適切な規制と改革のあり方について思うところを述べたい。

これまでも、食品や農業をめぐる規制はいくつかあった。最近のものでは食品中の放射性物質の基準値の厳格化をめぐる混乱や、マンナンライフの「蒟蒻畑」での死亡事故と消費者庁で法規制が必要という見解を示した事件があった。食品中の放射性物質の基準値については、食品衛生法に基づく国の基準値と流通業者や小売店などの自主基準とでダブルスタンダードが続いているが、蒟蒻畑では嚥下に関する調査研究と、それを踏まえた窒息事故の再発防止についての業界団体への要請という形で終結した。

さて、今回の生レバーの規制は、消費者の安全のためという意味で評価できる点はあるし、手続き的にも業界団体との協議が続けられた結果、禁止となったものといえる。世間では、牡蠣・ふぐ・生卵など他にリスクがあるにも関わらず、禁止されていない食品があるのに、生レバーだけを規制したことがおかしいという意見があり、パブリックコメントでも規制に反対の声が大きかった。牡蠣や生卵では、感染を避けるために店側が対処できる方法がすでに確立されており、牡蠣は生食用とそうでないものがはっきり分けられているし、清浄海域を指定することによりリスクを低減している。ふぐは無毒の部位がはっきりしており、免許制を採用しているし、生卵は新鮮さと関係があるので、賞味期限の設定によりリスクを下げられる。一方で、生レバーは新鮮さなどと関係なく一定確率でO-157にあたってしまうというロシアンルーレットのような食品であり、今回の規制にはそれなりに理路はあるのではと考える。ただし、今回の禁止措置には全国食肉事業協同組合連合会が反対を続けており、リスク評価についての科学的なデータの根拠、リスクコミュニケーションのあり方、衛生管理の改善によるリスク低減の可能性について強く主張している。

ここで問題提起したいのは、そもそも規制というのは何のために必要なのかという意義である。規制は、市場での競争を社会的に望ましい方向に誘導するために行われるべきものであって、具体的には、産業構造の転換や国民生活のリスク回避などを目的に、許認可や課税などを行う政策であると考えられる。昨今では特に過剰規制についての批判も多く、行政刷新会議でも改革の方向性として以下のような認識が示されている。

「規制制度の改革は、民間企業及び消費者の活動・選択範囲の拡大を実現するために欠かせない取組であり、規制・制度の改革により、雇用の拡大及び創意工夫の余地の拡大を通じた社会経済の活性化が期待される。その結果、国民は価格の低下や新たなサービスを享受できる、すなわち豊かな国民生活を過ごすことが可能になる。」要するに、規制でがんじがらめになった社会では動脈硬化がおきて閉鎖的で、閉塞感にさいなまれるので、規制については、国際社会との整合を重視し、必要最低限のものにしていこうと言う考え方である。また付言すると、文化の破壊は極力避けるよう努力すべきという視点も必要であろう。

話は変わるが、最近特にアレルギー疾患を持つ患者が激増しており、「何らかのアレルギーを持つ人」が人口のほぼ3分の1にも達している。これはアレルギーが環境の変化や生活の変化に大きく関わっているということを意味するものである。その原因については、様々な説が唱えられており、未だ特定できていない状況にあるが、その一つとして、現代の清潔な社会がアレルギー増加の原因となっていると言われている。生活環境が清潔なので、種々の感染症や汚染の少ない環境に育った子供達は免疫力が落ちているというものである。昔は、雑菌(微生物)がいるような環境で生活し、ある意味小さい頃から慣らされていた。しかし現在は、上下水道も整備されこういった雑菌に接する機会が乳幼児期になくなり、その結果、免疫力が低下してアレルギーにかかりやすくなってきたというものである。

確かに私などは、ポケットには小刀を常備し、腰には塩と醤油をぶら下げて、山野を駆け巡り、様々な雑草や小魚などを食べたりしながら子どもの頃を過ごした。食卓には、父が獲ってきたうなぎやどじょうなどが並んだ。今にして思えば随分危なっかしいものも食べて育ったことを思い出す。そのおかげなのか、私は、子どもの頃から全くアレルギーはない。ゼロ・リスクの食品はありえないし、規制だらけで、リスクゼロの社会をつくり続けて行くと、アレルギーなど、新たな社会的リスクが発生することになりはしないか危惧してしまう。

また、現場で活動する方々にとっては、規制が壁になることが少なくない。例えば、野菜や加工品を販売する農産物直売所で、精肉や魚介類を販売するためには、いくつかの規制がありそれをクリアするだけの条件を満たす必要がある。保健所などの行政機関は、間違いを起こさないことが職務要件であることから、他の目的達成に向けて規制を克服していこうとする支援は敬遠されても致し方ない。しかし行政機関は、単に規制するだけではなく、どうやったら地元の生鮮魚介類などを直売所で販売できるのかについて、前向きに指導・検討する姿勢が必要だろう。

人口減社会が到来し日本経済の将来性が危ぶまれているが、規制は適切な競争を促し、社会の可能性を制限させるものではあってはならないし、過剰規制を続けて行くと、日本人も文化も経済もひ弱になって行くばかりではないかと懸念する。