第124回 | 2012.12.17

被災地の農業再生に向けたマーケティング戦略 ~宮城県沿岸地域の震災復興の現場から~

今年度は、宮城県からの委託で、津波の被害を受けた宮城県沿岸地域の農業を再生することを目的に、主として販売面からの効果的な支援策を打ち出すための調査業務に取り組んでいる。対象地域は、石巻市、東松山市、岩沼市であり、テレビで流され続けた、その凄惨な映像を記憶している方も多いと思う。対象品目は、トマト、きゅうり、いちご、ほうれんそうなどで、生産基盤の復旧は進んでいるものの、流通・販売戦略についての最構築が求められている。

先日は、名取市・岩沼市を訪れ、JAや市役所の担当者にヒアリングを行い、現地も見せて頂いた。このエリアは、海岸線に海抜が低い砂地の農地が広がり、かつては何百棟というパイプハウスが連なり、きゅうり・トマト等の一大産地だった。しかし、津波により全てのハウスと点在する農家が一瞬にして押し流された。現地では既に瓦礫の撤去が終わっているものの、かつての優良農地は荒涼たる耕作放棄地となっていた。その地域に暮らしていた方々の悲しみと無念は、計り知れない。

こうした中、農業の再生に向けた取組は確実に進んでいる。JA職員も市職員も、農家達も、悲しみを乗り越え、歯をくいしばって、確かな歩みを始めている。離農する農家は全体の3分の1程度存在するものの、多くは土建業などに従事しながら、できるところから農業をはじめており、本格的再開に向けて日夜準備を進めている。

仙台空港周辺の代替地では、全農の交付金事業を活用し、約190棟のパイプハウスの整備が進んでいる。かつてはトマトやきゅうりを生産していた45名の農家が、ここで農業を再開する予定である。代替地もまた津波をかぶったことから土壌の塩分が全体的に高いこと、粘土が多く土質が異なることから、当面は作りやすいチンゲンサイや小松菜など、葉ものの生産を始める予定だ。

しかし懸念事項はある。この地域の農家はそれぞれ保冷庫を持っていて、各自で出荷調整をしていたが、保冷庫もまた、津波で流されてしまった。そこで今後は、JAの施設に持込むことになるが、JAの施設はキャパシティが限られており、190棟分の全量を取り扱うことは出来ない。JAにとっては、共販体制を強化するよい機会であるが、震災によりJAもまた打撃を受けており、施設・要員体制共に再建には時間がかかりそうだ。

一方、岩沼市では、市主導のもと、復興計画が進んでいる。市の農地全体を、海外線から遠いエリア、中ほどのエリア、近いエリアの3つのエリアに線引きし、それぞれ平成24年度、25年度、26年度に営農再開という基本方針のもと基盤整備などを急ピッチで進めている。また、現在の市内を7地区に分け、集落ビジョンを作成中である。いずれも米の作付体制をどうするかがメインテーマであり、園芸作物は2番手の検討事項になっている。

基盤整備・施設整備にあたっては、あらゆる交付金を活用して行く方針であるが、農地集積などの要件を満たすためにも、平成25年2月までに、各集落でそれぞれ一つの法人を立ち上げる方針である。そのため、集落の方々は毎晩検討会を持ち、市職員も土日を問わず奔走している。当初は農事組合法人として設立し、その後軌道に乗った時点で株式会社へ移行することを検討している。

各集落の整備構想は、単にほ場整備・基盤整備に留まらず、ライスセンターや育苗センター、農機具格納庫、園芸施設なども併せて整備し、設立する法人が全てを管理・運営する方針としている。つまり、集落ごとに、稲作から園芸までを行う独立した会社を作ってしまおうという計画である。うまく行けば、来年2月に、1つの市に7つの農業法人が同時に誕生することになる。各集落ともに稲作が中心であるものの、園芸団地の整備用地も各集落で決定した。こうした取組により、基盤の再整備を行った田は、農業法人により一元的に管理耕作され、点在していたハウスは1箇所に集積され、効率的に経営されることになる。

これは、全国の農村地帯が目指すべき理想的な営農形態である。震災復興、被災地での農業の再開は、元のかたちに戻すことを意味するのではなく、全てを亡くしてしまったところから、新たな仕組みをつくり出すことを意味するのだと実感した。そして、多くの悲しみと無念を乗り越えて、歯をくいしばって前進していくところに活路が見出せるのだと思った。改めて、被災した方々への敬意を表すると共に、こうした取組を心から応援して行きたいと思う。

しかし、岩沼市が進める集落営農の法人化には、いくつかの懸念がある。最大の懸念は生産体制が整った場合、販売はどのようにやって行くのかという点である。もともとこの地域は、JAに出荷する農家、グループで直販を志向する農家、個人で市場に持込む農家など、販売形態は様々だった。そんな農家達が7つの法人にまとまった場合、計画的な販売が可能なのかどうか不安である。残念なことに、この取組に対するJAの関わりは希薄で、JAが7つの法人をまとめて、計画的・一元的に生産・販売すると言う将来像は描きにくい。

また、かつては仙台市場が有力な販売先であったが、震災により県産農産物が仙台市場に全く入らなくなったことから、この間に県内のスーパーの売場は、他県の農産物に切り替わってしまっている。こうした中で、チンゲンサイや小松菜など、作り易い県内農産物が、大量に仙台市場に持込まれても、売場のシフトに時間がかかることに加え、仙台市場だけでは捌ききれない状況になることも懸念される。

このような状況の中、生産量が復活する近い将来を見据えて、新たなマーケティング方策を構築していくのがこの度の仕事である。大変困難な仕事ではあるが、震災復興の一助となるよう、全力を尽くして行きたい。