第52回 | 2011.06.20

絶対反対の御旗を揚げ続けろ! ~「TPP亡国論」を読んで~

東北大震災の発生と政局のドタバタにより、TPP参加論議は一時棚上げされているが、いつ再燃するか分からない状況にある。国民の関心が他に向いている間に、TPP参加などと言う結論が出されてはたまらない。遅ればせながら、ベストセラーになった中野剛志氏の「TPP亡国論」を読んで、改めて思うところがあったので、再びこのコラムでTPPについて述べておきたい。中野氏は、農業を専門としている訳ではなく、いわゆる経済学者だ。経済界全体がTPP参加に諸手を挙げて賛成している一方、農業関連団体・関係者のみが絶対反対を訴える構図の中で、経済学者の立場から、TPP参加は亡国を意味するものであると論陣を張っているところが頼もしい。まずはこの著書の論旨について、私なりにまとめてみる。

日本は保護主義的かつ閉鎖的な国であり、自由貿易に基づく開かれた国にしなければならいと言われているが、関税率は国際的にも低く十分開かれた国である。TPPに参加して、アジア・環太平洋の経済成長に向けたリーダーシップをとる必要があるなどと言われているが、中国も韓国も参加するはずがなく、参加国は小国ばかりで、実質的にはアメリカと日本の2国間の協定に他ならない。TPPは、深刻な貿易赤字と高い失業率に苦しむオバマ政権が、日本への農産物輸出を大幅に拡大しようとする輸出倍増戦略の一環に他ならない。アメリカからは、関税撤廃、ドル安の更なる進行、米国労働者の賃金低下などの要因で、非常に低価格な農産物が輸入されることになる。現在もデフレという経済の病気に苦しむ日本は、安価な農産物が輸入されることで、国内農業の崩壊はもちろん、さらにデフレが進み再生困難な不況に陥る。TPPが突然浮上した背景は、普天間基地問題など関係が悪化させた民主党政権のアメリカへの点数かせぎであり、「平成の開国」、「アジアでのリーダーシップ」などのイメージを優先させた巧妙なデマゴークである。リーマン・ショック後の世界の経済情勢や各国の基本戦略、長期にわたり日本が陥っているデフレという経済環境などを正確に把握し、TPPの本質を見抜き、自ら守る力・自立する力を国民は持つべきである。

まとめが少し長くなったが、概ねこのような内容である。この中から特に私が注目した点について、私の考えを述べてみたい。

一点目は、TPPの参加により、アメリカからの安価な農産物が輸入されることは、農業の崩壊だけでなく、日本経済の崩壊を意味するという点である。ものの価格が下がりつ続けるデフレは、国の経済にとって最も避けるべき状態である。物価が下がり続けると、売上があがらなくなり、企業の利益が出なくなって、そこで働く従業員の給料は減少する。その結果買い控えが起こり、消費が減退することから、企業はさらにものの価格を下げざるを得ない。また、企業は業績低迷により民間投資を抑制させ、税収の減少により公共投資も困難になる。これがいわゆるデフレスパイラルという現象である。バブル崩壊以来デフレ状態にある日本経済は、TPPの参加により、食料品の物価が下落することによってさらにデフレが進み、取り返しのつかない状態になるという指摘だ。

専門家ではない私には、どこまで日本経済全体に影響を与えるのか予想もつかないが、少なくても、現在でも安すぎる日本の食は、さらに安くなってしまうことは間違いなさそうだ。アメリカの農産物は価格こそ安いかもしれないが、日本の農産物は品質や安全性の面で優れている。だから国産の値段が多少高くても、買ってくれる消費者はいるのではないかといった希望的観測を持つ人が多いようだ。現在日本の米は、確かに現在世界一の品質と食味を持つことは間違いない。しかし、輸入自由化となれば、アメリカは日本向けの米の改良を重ね、日本の米と遜色のない米を短期間につくりあげてくるだろう。このことは、オーストラリアが日本向けの小麦の改良に国をあげて取り組み、国産小麦よりはるかに品質の小麦をつくっているという事実を見ても明らかだ。

また、日本の農産物は安全で、輸入農産物は安全ではないといった妄想も捨てるべきだ。日本ではGAPを取得する農家はまだまだ少数であるが、農産物の輸出国ではほとんどの農家がGAPを取得している。むしろ国際的に安全性が担保されていないのは日本の方だと言える。品質も安全性も変わらず価格が極端に安い輸入農産物を前にして、それでも国民は国産を選択してくれるだろうか。また、物価がさらに安くなれば、企業側は安価な原料調達や人件費コストの削減をさらに推し進めることになるが、食品偽装や安全対策の不備などの事件の発生を促す結果につながる危険性は高くなると考える。

二点目は、TPPの参加により、農産物の海外輸出が活性化することはありえないという指摘だ。確かにTPPに賛成する農業構造改革論者の中には、「日本に農業の潜在能力を引き出し、高品質の農産物を生産して、海外市場に輸出すべきだ」という議論を展開する人が多い。中野氏は、以下のように独自の表現で反論している。「政府が先頭に立って、不動産バブルで発生した中国の成金目当てに、為替リスクまで負って、高級農産物を売り込む政策を推進するなど、下の下作です。そんなことをやる前に、政府がまずやらなければならないのは、デフレという病を治療して、景気を回復させることです。そして、国民の所得を増やし、国民が高品質の国内産の農産物を買えるようにする。それが国の経済政策の本筋というものです。」

繰り返しになるが、そもそもTPPとは、実質的に日本とアメリカの自由貿易を意味し、中国はTPPに参加しない。私は、農産物の輸出は、農業構造改革を進めるためにも重要な戦略の一つだと思っている。しかし、中国をターゲットにすることが、正しい戦略がどうか疑問である。確かに中国は高度経済成長を遂げつつあり、13億人が住む巨大市場である。しかし、市場原理を無視して人民元をひたすら切り下げ、自国に有利になるよう為替相場を政府が一貫してコントロールしていることに象徴されるように、国際的には最も閉鎖的な国であると言える。また、現在の一部の高所得者層はバブルで金を持っているのであり、バブルが崩壊すれば日本の高い農産物は買わなくなるだろう。加えて日中の政治的な関係も不安定で、ひとたび紛争ごとが起きれば、日本の農産物は輸入停止という報復措置をとることも考えられる。つまり中国は、必ずしもフェアな貿易ができる国とは言えず、今後の展望も極めて不透明である。市場は小さくても、まずはシンガポールなど国際的に成熟している国を対象に、農産物輸出にトライし、フェアで持続的な取引を実現するべきだと考える。

三点目は、農業の構造改革は不要であるという見解だ。この点は多いに異論があるが、中野氏は、以下のように表現している。「TPPに参加するためには、農業の構造改革が必要だという論者は、問題の本質をまるで分かっていません。貿易自由化の本質は、農業が困るというよりむしろ、デフレによって国民全体が困るということにあるのです。デフレが問題だというときに、農業構造改革など提案されても、いい迷惑です。デフレがもっとひどくなるだけです。」つまり、農業の構造改革が進むと、国産農産物の価格は安くなるので、デフレがさらに進行して、不況がさらに深刻になるという意味だ。

現在震災により崩壊した農村部をモデル地区に、新たな農業のあり方が検討されており、著名な先生方がそれぞれの見解を示されている。表現は異なるが、大規模ほ場を整備してスケールメリットを活かした効率的な農業に転換すること、農地法の枠組みを変えて、企業の資本導入も見据えた新たな経営体を育成することが共通の意見である。私も同様の意見で、震災を契機に農業の構造改革を本気で進めなければならないと考える。畜産も園芸もこの20年間ドラスチックな構造改革が進み、大規模で効率的な農業を実現しつつあり、国際競争力を高めつつある。

構造改革により、本気で農業に取り組む生産者が必然的に絞り込まれ、適正な利益を確保できる農業、産業として自立できる農業、国際競争力を持った農業を実現していくことは必要不可欠である。価格は需要と供給の関係で決まる。米の場合、現在は本業ではない小規模な農家が多すぎて、供給を需要が上回っているから、価格が低下する。理論的には、構造改革が進んで、農家数が減って供給量が抑制されれば価格は下がらないはずだ。構造改革の経過の中で、一部の国産農産物の価格が安くなることも考えられるが、それは成長過程の中で、いかなる産業でも経験する通過点であると思う。

問題は米を基軸とした土地利用型農業である。戸別所得補償制度などと言う時代の流れに逆行する施策を講じている現状において、TPPに参加すれば米と農村は必ず崩壊する。私はTPP参加は大反対であるが、長期的な展望に立つと自由貿易の流れは止められないだろうと考えている。したがって我々は、この度のTPP参加論議を大きな契機と捉え、構造改革を本気で進め、フェアな国際貿易にも対抗できる農業を作り上げていく決意をしたい。