第59回 | 2011.08.08

経済優先主義による食と農の崩壊 ~韓国の農業事情と放射能汚染問題~

日本農業新聞では8月3日から3回に渡り、「韓国FTAの影」という特集を組んでいるが、今後の日本の食と農を考えるにあたり、とても興味深い内容であるので紹介しておきたい。ご存知のとおり韓国は、電気や自動車などの輸出産業により経済成長を続けてきたが、今後はアメリカやEUとの自由貿易協定(FTA)の締結により、一層の輸出拡大を目指す方針である。日本の経済界からは、韓国を見習うべきで、日本も一層の自由化を目指さないと韓国に立ち遅れるという声が高まっている。ご存知のTPPへの参加論議もこうした背景から起こっている。しかし特集記事では、相次ぐ自由化により、韓国の農業・農村は疲弊し、韓国国民の暮らしは必ずしも豊かにはなっていないという実態をレポートしている。

レポートによれば韓国では、ガットウルグアイラウンド合意に始まる一連の自由化で農産物価格の低迷が顕著になり、都市部と農村部の格差が拡大しているという。専業農家の所得は都市部住民の3分の2まで下がり、過疎化・高齢化が著しく、医療機関の撤退や学校の廃校が相次ぎ、社会基盤の崩壊の危機に立っている。日本でも同じ傾向を示しているが、日本を大きく上回る勢いで農村が衰退しているようだ。韓国の平均経営面積は1.45haと日本並みであるが、規模を縮小する農家、廃業する農家が急速に増加する中、規模拡大を目指す農家も減っている(日本は規模拡大を目指す農家は増加傾向にある)。政府がFTAを推進し、農産物価格の一層の下落が見込まれる中で、経営規模を拡大しても農業の将来に希望が持てないという考えが農家に浸透してしまっているようだ。また、韓国では先に、口蹄疫問題で畜産業が壊滅的な打撃を受けている。FTAの推進が、農村部へとどめの一撃となる可能性があるという。

韓国は、パプリカなど、国際的な優位性を確保できる戦略作物の育成に多大な投資を行い、農業構造の改善を強力に推し進めてきた。しかし、国の予算に占める農業予算の割合は、1995年の15.9%をピークに年々減少しており、2008年には6.2%まで落ち込んでいる。韓国では人口の増減に併せて地域ごとの議員数を決めるため、農業・農村振興を主張する議員も減っており、今後も農業予算はさらに縮小すると考えられる。また、韓国は、日本同様独自で高いレベルの食文化を持っている。しかしこのままでは、国産食材は輸入食材に変わり、守るべき食文化も希薄になっていくのではないだろうか。都市部と農村部の所得格差がこれ以上広がり、農業に夢を持てない若者が増えるとなると、農村の崩壊は加速し、農業の担い手はいなくなる。

韓国は、国民総生産に占める輸出の割合は5割と日本の4倍であり、経済対策の主眼を輸出に置かざるをえないお国柄である。その韓国を見習い、日本も同じ道を歩もうとしている。しかし自由化により、国民は本当に豊かになると言えるのか。私は20歳代に若気の至りで世界20カ国あまりを回った経緯がある。様々な国を見て、「日本は幻の桃源郷・ジパング」であるという確信を得た。森林と農村が広がる緑豊かな国、四季折々の美しい風景を持つ国。食事が世界一うまい国、そして皆が仁義礼の規範を持って助け合う国、それが私が心から愛する日本だ。経済は成長し、金銭面では国民は豊かになった。その経済を牽引してきたのは輸出産業であることは間違いない。但し、経済を優先するあまり、幻の桃源郷が持つ資源や文化を切り捨ててはならない。

放射能汚染問題及び円高の進行で、TPP参加論議は振り出しに戻ったと言える。残念ながら、放射能汚染問題で、日本ブランドは崩壊したと考えるべきだろう。国産の農産物の輸出戦略の推進は、当面凍結せざるを得ない。国民でさえ買わない農産物を、海外の消費者が高価格で買うことなどありえない。したがって、現在の有事のもとでの自由貿易は、日本の農業にとってなんらメリットはなく、海外の産地にとっては日本の農産物マーケットをそっくり手にいれる最高のチャンスとなる。自由化に関係なく、既にほとんどの小売店の精肉売り場は、国産牛肉の販売スペースが大幅に縮小し、輸入ものの牛肉や豚肉にとって換えられつつある。

前回59号のコラムを出稿後、放射能汚染問題は急展開をみせた。福島、宮城、岩手に続いて栃木県も牛肉の出荷制限を受ける一方で、農畜産業振興機構を通して牛肉の買い上げ資金を生産者に供給する方針が明らかになった。また、農水省からは、米の放射能物質の調査と出荷制限ルールが発表された。市町村を単位に、収穫前の予備調査と、収穫後の本調査の2段階で調査を実施し、暫定規制値を超える結果が出た場合は、その市町村全域で米の出荷・販売を禁止し、廃棄処分を義務付けるというものだ。現時点では、最善の安全管理体制をとったと考える。早場米の産地である千葉県から予備調査が開始されたが、調査をする側も受ける側も、祈るような思いであろう。安全が担保されない限り、産地再生に向けたシナリオは描けない。

仮に、調査において規制値を超える放射能が検出された場合、迅速で正確な報告をお願いしたい。また規制値を超えなくても、全ての検査地点のセシウム濃度を公表するべきである。そして、放射能が溜まりやすい農地条件やホットスポットの傾向などを分析し、国民に真実を説明すべきだ。それが風評被害を最小限に食い止め、日本ブランドを早期に再生させる近道である。これまでの経緯を見ても明らかなように、隠し立てすることが消費者の疑心暗鬼を招き、事態を混迷させる。また、農業者も関係団体も祈るだけでなく、自らを疑い厳しく調べ安全性を証明するという勇気を持って頂きたい。

貿易自由化による韓国の農業・農村の衰退も、放射能汚染による日本農産物ブランドの崩壊も、経済的な国益を優先するあまり起こった事態と言えるのではなかろうか。もう一度、幻の桃源郷・ジパングにおける農業・農村の役割、国民の真の豊かさ、あるべき経済発展の姿について、全国民が考える時を迎えたと思う。