第211回 | 2014.10.28

米の未来を考える ~日本経済新聞特集記事より~

日本経済新聞では、10月16日からの約2週間、「食と農~日本人とコメ~」というタイトルの特集記事が組まれていた。今年は米価が大きく下落し、米農家の間には悲壮感を通り越してあきらめムードさえ漂いつつある。こうした状況の中、一連の特集は、日経新聞らしく、現実を直視しつつ、市場原理の視点から、米の新たな時代の扉を押し開けようとする胎動をレポートしている。

1回目の特集では、日本は瑞穂(みずほ)の国であり、日本人にとって米は、縄文時代から主食とされてきた特別な作物であると定義した上で、補助金頼みの「聖域」を脱する必要性について述べている。これまで米は、需要に比較し価格が高いため、米の消費が減り、米価の下落を抑えるため減反の強化を繰り返すという、いたちごっこが続けられてきた。すでに政府は、2018年から減反を廃止する方針を固めているが、今後は市場原理に基づく、自由な経済システムに転換するべきだというのうが社説の趣旨である。

市場原理に基づく経済システムとは、強者の論理であり、弱者を切り捨てることになる。耕作条件が不利な中山間地域などは耕作を放棄せざるを得ないし、小規模農家は離農することになり、多くの農村は崩壊し、美しい田園風景は消えることになろう。しかし、国民が、これまで2,000年以上の歴史を持つ日本特有の社会システムを支えられない以上、仕方がないことなのだろう。大規模経営により低価格の米を提供できる農家・産地のみが生き残り、その他は稲作農業から離脱するというのが、この国の稲作農業の未来のようだ。とても悲しいことであるが、次世代には、瑞穂の国の魂を残し、伝えていくことは困難なようだ。

2回目の特集では、農地中間管理機構を活用したイオンの稲作農業への本格的な参入や、土作りに力を入れ食味重視のブランド米生産に取り組む事例、直播や無人飛行機による省力化に取り組む産地の事例などが紹介されている。稼げなければ続かない。付加価値を高めつつ、大規模化によるスケールメリットの発揮や、生産方法の改革によりコスト縮減を実現することが、生産現場の基本方針といえる。

3回目の特集は、米の輸出に着目したものである。2013年の米の輸出実績は、3,000トン強と過去最高となり、その品質の高さは徐々に海外で認められつつある。しかし、様々な輸出障壁があり、思いのほか米の輸出は伸び悩んでいるのが実情である。特に中国への輸出障壁は高く、中国検疫局が認可している米の精米所は全国で一か所しかなく、その後も許可拡充の動きは見られないことから、官民協働で輸出障壁を超えるための働きかけが重要であるとしている。また、日本の米が、海外の食文化に必ずしも合致するものではなく、東南アジアの需要を拡大するためには、和食文化とセットで輸出戦略を展開することが必要あると解説している。

世界的な視点に立ってみると、米の需要・消費は拡大しており、特にアフリカ諸国での消費急増が期待できるという。これに対し、三井物産がミャンマーで米の生産・販売プロジェクトを立ち上げたり、米穀卸の木徳がベトナム米の増産や多国籍への輸出事業を開始したりと、海外で育て海外で売るという取組が活発化している。日本の高品質な米を輸出する取組と、海外で低コストの米を生産し輸出する取組は、やがてどこかで競合を招くかもしれない。

4回目の特集は、日本の炊飯器が香港、上海、さらにはブラジル、オーストラリア、中東などで飛ぶように売れているという内容である。炊飯器の普及を通して、おいしい米の食べ方を世界に伝えることで、日本米の需要を開拓しようという趣旨だ。炊飯器の輸出と同時に日本米の輸出も拡大するとよいのだが、はたしてうまく行くだろうか。将来的に、炊飯器が海外でたくさん売れるようになれば、製造メーカーは海外に生産拠点を移すことになる。また、米を炊く文化が海外に定着すれば、海外で炊飯に適する米が増産されることになろう。

5回目の特集は、農協に関する内容である。戦後の農地解放により、日本には多くの土地持ちの零細農家が生まれたが、これを束ねてきたのが農協という組織である。農協は、零細農家に有利になるよう、組織票を背景に国政に大きな影響力を発揮してきた事実は否めない。しかし、減退廃止や所得補償制度の見直しにより、農協の求心力は大きく低下することになろう。そして安倍政権が、農協票の弱体化に伴い、「脱JA攻めの農業へ」を強力に推し進めていくことになるだろうと記載している。特に今年度は、農協の米の仮払い価格は驚くほど安く、農家の農協離れをさらに助長させそうだ。

関連特集として、「新米安値」というタイトルの記事も記載された。消費者の米離れで在庫が過剰になっている中で、産地間競争が激化したことで、2014年産の新米の値下がりが顕著になっている。減反が廃止になれば、農家が自由に米をつくれるようになり、価格競争はさらに激化することは必至である。これに対し産地は、在庫米を飼料米や業務用米として処分しようとする動きが見られるが、こうしたマーケットでも競合は激しさを増しており、思うように対策は進まないようだ。

全農は来年度、飼料米の生産を今年の18万トンから60万トンに拡大し、業務用米の引き渡し期間を延長することで、強力な需給調整に取り組む方針である。しかし、系統出荷率が減少していることから、全農がコントロールできる数量は限られており、需給調整で全国の農家の足並みを揃えることは困難であろう。多収量米を作漬けし、中食・外食産業をターゲットに複数年の契約的取引を行う農家も見られる。慢性的な生産過剰の中で、さらに多くの農家が業務用米の生産・販売に着手していくことが予想される。そうなれば、契約価格もまた、下落することになろう。したがって、この先米価がどこまで落ちるのか、誰も予想出来ない状況にあると言えよう。

一連の特集記事は、稲作農業にも多様な可能性があるという論調で綴られていた。しかしそれは、米を市場論理の側面だけで捉えたものだ。これまで、国政において、米を守る目的は、伝統・文化や農村風景、そして農村社会を守ることと抱き合わせで議論されてきたし、経済的な合理性からはかけ離れた聖域と捉えられてきた。しかしこの聖域を脱しない限り、米の未来は描けないところまで、時代は変化してしまったようだ。今後この国の人口減少は止まらないだろうし、米離れも止まらない。稲作農家も、農村も、そして日本人全員も、来たるべき時代に向けて、瑞穂の国を捨てるという大きな覚悟が必要なようだ。