第299回 | 2016.10.11

流通研究所のこれまでとこれから②
~二の釼終了の挨拶に代えて~

私が流通研究所の代表取締役に就任してからの計10回の決算では、一度も対前年売上高を下回ったことはなく、一度も赤字決算に陥ったこともない。中小企業でありながら、よくここまでやって来たなと我ながら感心する反面、会社である限り、売上は毎年伸ばし黒字決算を実現して当然であり、それが社会的な責任だと考えている。売上を伸ばし利益を上げないと、従業員の給与も上げられないし、新たな投資も出来ず、会社の活力は失われることになる。何よりも、従業員とその家族の夢と幸せを担保するためには、給与のアップはもちろん、一貫して右肩あがりの経営を実現することが必要不可欠であると考える。

売上・利益の確保に向けては、かなり厳格な仕組みをつくりあげてきた。毎年、年度はじめに会社の事業計画を練り、経営目標を実現するために必要な売上高と利益額を算定する。主として官公庁から毎年40本から50本の業務を受託する中で、チーム制を導入し、個人個人の売上目標を設定し、受注した業務ごとの利益管理を徹底している。官公庁を対象とした仕事であることから、ぼろ儲けなどは全くなく、薄利の中で、常に綿密な計数管理と経営努力を積み重ねていくことが求められている。コンサルティング会社の経営ゆえに、どんぶり勘定は許されないのだ。

一方、年間の借入計画も年度はじめに立案し、毎月の試算表・資金繰り表を更新しながら、各行との融資交渉に臨む。苦しかった時代は、信用金庫や小規模な地方銀行はもとより、ノンバンクからの借入もあった。しかし現在は、三井住友、りそな、横浜の大手3行に絞り込み、常に情報交換を行うことで、円滑な融資を受けられるようになっている。中小企業の経営者の最大の苦労は資金繰りであると言われているが、昔に比べれば、私は本当に楽になったと実感している。

流通研究所のコンサルティング部門の仕事内容は、年を追うごとに専門特化してきたと言える。かつては、まちづくりや福祉分野まで手掛けていたし、コンサル業務というより単なる調査業務に過ぎない仕事も多かった。多額な借金を抱えている中小企業として、選り好みなど出来なかったし、価格入札で低価格の仕事をとるようなケースも多かった。しかし、農業・水産業に特化したことで、この分野におけるスタッフ個々の専門性が高まり、全国では数少ない会社として、そのノウハウ・実績は確実に積み上げられてきた。

現在では、農業・水産業以外の仕事はほとんど行っておらず、価格入札への参加割合も極めて少なくなっている。とても偉そうな言い方をすれば、流通研究所の専門性を活かせ、社会的に意義があり、プロポーザルか随意契約の仕事しか請け負わないというのが基本的な営業方針である。そしてこの営業方針が、流通研究所の発展の一つの基盤となっている。

「社長としてのお前の自慢は何か?」と問われれば、「スタッフです」と私は即座に答える。うちは工場で何かをつくる会社でもなく、物を仕入れて売る会社でもない。スタッフが商品そのものであり、スタッフが会社にとって唯一絶対の財産である。どん底から流通研究所を押し上げたのも、確実に業績を伸ばしたのも、全てスタッフの力である。それほど、うちのスタッフは、一人ひとりが優秀で、心から信頼できる人材が揃っている。気持ちが倒れそうな時には、いつも彼ら・彼女らがそばにいて、私を力強く支えてくれた。大きな仕事を達成した時は、共に心から喜びを分かち合ってきた。こうして私達は、固い絆で結びついている。

しかし、第2創業期から成長期に移行するにつれ、従業員数は当初の7名から、現在は25名に増え、メンバーは大きく変化しつつある。新しいメンバーは、一番苦しかった時代は知らないし、様々な価値観を持った若者達が入社してくる中で、かつてのように浪花節を唸りながら、みんな一丸となって頑張れとは言えない環境になってきた。そんな中でも、スタッフの心を一つにして、理念を共有化させ、同じ方向を向いて前進できる会社づくりをめざす必要がある。それは、私にとって今後の非常に大切な取組課題であると考えている。

3年前にスタートしたKABS(かながわアグリビジネスステーション)事業は、流通研究所のカラーを一層明らかにした。「コンサルタントなどは口先ばかりだ」と言う悪口は、今も昔も尽きない。しかし流通研究所は、KABS事業を通して、農産物の販売事業を実践している。この販売事業では、他社が絶対やらない仕組みをつくり、数々の仕掛けを行ってきた。「金次郎野菜ブランド」のもと、神奈川県内の若手専業農家と提携し、庭先集荷と買取を前提とした流通システムをつくり、百貨店・高級店にある自社の売場には野菜ソムリエが販促活動を展開し、さらには食育講座や食育ツアーなどを行っている。この事業を持つことで、本業であるコンサルティング業務との相乗効果が発揮されている。未だに収支トントンで利益は出ていないが、売上は着実に拡大している。

しかし、スタート当初、この事業は赤字続きだった。流通研究所としてもノウハウが不足していたし、私自身、農産物流通という実体経済を甘く見ていた点があった。当然事業の存続について、主脳部でも大きな議論になった。流通研究所の前の経営者は、事業の多角化に失敗し、私や残ったスタッフに多大な負債を残したことから、私にとって事業の多角化はトラウマである。経営者としての信念を持って臨んだ事業であるにもかかわらず、心は揺らいだ。そんな時、顧問が、「この事業はどんなことがあっても絶対辞めてはならない。KABSは流通研究所しかやりえない事業であり、会社の宝である」と断言された。

その言葉を受けて、事業の担当スタッフと共に、私自身がもう一度農家を回り、売場に立った。その結果、改善に向けたポイントが明らかになり、担当スタッフの頑張りで漸く軌道に乗ることができた。この事業は、未だ道半ばであり、新たな課題も浮上しつつあるが、既に次の仕掛けに向けて動き始めている。県内若手専業農家の育成・支援、県内農産物のブランド化、消費者への県産農産物が持つ価値の伝達。当初抱いた大志を忘れずに、経営者として、今後も不退転の覚悟でこの事業に臨みたい。

1年前に、流通研究所は沖縄支所を開設した。沖縄県の各自治体は、一括交付金という財源を持つため、予算は非常に潤沢である。しかし、これらの予算が、地域のために有効活用されているとは必ずしも言えない状況が見られる。例えばマーケティング事業と言いながら、大手の広告代理店などに多大な委託費を払い、一過性の広告やイベント事業を繰り返すといった状況にある。

それらを否定する訳ではないが、持続的な流通の仕組みづくりや地域活性化に向けた体制づくりなど、優先して実現すべきことが多々存在すると思う。しかし、沖縄では、そのような業務を行える専門会社が存在しないのが実状である。開設した沖縄支所では、もちろん会社としての売上も欲しいが、地域にとって真に役立つ仕事をするという社会的な正義を掲げていきたい。すでに県内で何本か仕事を頂いているが、今後は体制を充実させ、地に足がついた仕事をしていきたいと思う。

「光陰矢のごとし」と言うが、この激動の11年間は、私にとって長くもあり、短くも感じる。多くのことを成したようにも、まだ何もなし得ていないようにも思う。時代の流れの中で、流通研究所も大きく変わったし、45歳で社長になった私も歳をとった。自分が思っていたほど人生は長くないようだ。それゆえ、自分が信じること、やりたいことは、この先も、恐れることなく、迷うことなく、勇敢にチャレンジしていきたいと思う。(最終回300号に続く)