第206回 | 2014.09.16

次世代に伝えたい郷土の魂 ~我が郷土・曽我村の取組~

最近めっきり涼しくなり、清々しい秋空が広がる季節になった。この季節になると私は、仕事そっちのけで、祭の準備で多忙になる。今年の曽比稲荷神社の祭礼は10月11日(土)に開催される。一年に一度、秋の稔りを神に感謝し、地域の人々が豊かに暮らせることを祈願する、心が躍る催事が今年もやってくる。

私は、流通研究所代表取締役と、地域のリーダーという2つの活動領域を持っている。若い頃から、保育園の保護者会長を皮切りに、PTA会長、自治会役員、祭の実行委員など、地域のあらゆる役職をしてきた経緯がある。もちろん会社経営は何にも増して最優先すべきものであるが、地域活動もまた私にとって非常に大切なものであり、2つのフィールドが私の人生の両輪を形成している。

曽比村は、昭和元年に隣の栢山村と合併し桜井村を経て、昭和25年には小田原市に編入された。戦国時代の幕を切った北条早雲は、地域づくりに熱心な武将であったが、この地域で新田開発を進め、当時沼地だった土地を美田に変えたという伝説を持つ。寺の過去帳によれば、釼持家の本家は現在16代目であり、この土地で約500年にわたり百姓として生き続けてきた一族であると言える。そうした血統が、私に深い郷土愛を受け継がせ、地域のための活動の原点になっているように感じる。

私が小学生の頃、曽比村は、約100町歩の農地を持ち、340世帯(その半分は農家)が暮らしていると言われていた。その後、農振地域の一部除外を契機に宅地開発が急速に進み、農地面積は段階的に縮小し、40年後の現在は1,500世帯まで拡大している。西には霊峰富士を仰ぎ、東には清流・酒匂川が流れ、災害が少なく一年を通して温暖なこの田園地帯は、住むには最適な理想郷である。しかし近年、少子高齢化が急速に進みつつあると共に、地域を支えてきた諸先輩方が毎年のように亡くなり、活用の低下が懸念されるようになった。

神社の祭の継続は、地域の課題の一つとして浮上しつつある。現在の祭の運営は、地域の有志約25名からなる実行委員会が中心となり、村内の6つの自治会が協力する体制で進められている。しかし、各委員の高齢化が顕著となり、自慢の約20mの幟もクレーンなしでは立たなくなっている。また、総重量約200kgの本神輿も、若い担ぎ手が不在で、社にに眠ったままで、久しく担ぎ出されずにいる。また、子どもの数も減少傾向で、近年は子ども神輿や子ども相撲の参加者も減りつつある。このままでは、近い将来、祭が存続できなくなる時がやってくる。

地域には若手はまだまだいるが、「農家のための祭」というイメージが強いせいか、新たな参加者が少ないのが現状である。世代交代が必要な時期にさしかかっているが、昔からこの地に住んできた農家達と、新住民との心のかい離を埋める作業は、ことの他大変であると痛感している。どうやったら、農家以外の住民を仲間に出来るのかと、ここ数年悩み続けてきた。そこで今年は、「社に眠る本神輿の担ぎだそう!プロジェクト」を打ち上げ、新たな担い手を発掘・育成するきっかけにすることを目論んでいる。魅惑的なチラシをつくり、各世帯に回覧すると共に、一本釣りに本腰を入れていくつもりである。

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神社の祭に加え、村の中心を流れる仙了川での流灯祭や、築50年の公民館での文化祭など、私の村は地域活動が非常に活発である。河川の清掃活動や美化運動にも積極的に取り組んでおり、地域活性化の手本のような村だ。補助金などあてにしたことなどない。自分達が暮らす地域を自分達の手で、活力があり、豊かで美しい地域にしていきたい。そんな諸先輩方の思いが、こうした活動を支えてきたが、高齢化や農業後継者の減少により、いずれの活動も大きな岐路に立っていると言える。

100年経っても地域に残る担い手をつくりたい、未来永劫に、この美しい郷土を次世代に引き継ぐ仕組みをつくりたいという思いで立ち上げた(株)おだわら清流の郷は、2回目の収穫の季節を迎えている。箱根のホテルや保養施設と米の契約的な取引を進めており、売上は好調で、平成25年度米の在庫は8月中ごろには底をついた。また、野菜の栽培にも力を入れており、金次郎野菜としてファームドゥあざみ野ガーデンズ店で販売している「丸おくら」などは、実によく売れている。地域における会社の認知度や信頼は高まり、優良農地の集積も急速に進みつつある。また、地域の女性などをアルバイトとして雇用するようになるなど、農業生産法人の経営は確実に前進している。

この会社は株式会社であり、ビジネスとして成立させることが前提である。その一方で、地域活動のための組織という側面も強い。農家の高齢化が顕著で、亡くなる方も増えている中で、耕作放棄地は年々拡大している。しかし、時代は大きく変わったと言っても、村ぐるみで500年営んで来た農業を、私達の代で辞めてしまう訳にはいかない。そして、黄金色に染まる秋のこの風景を、稲刈りで村全体に漂う香ばしい匂いを、次世代にも残して行きたい。それが清流の郷のスタッフ全員の思いだ。そのためにも今後は、さらに農地の集積を進め規模を拡大することに加え、後継者の発掘・育成に重点を置いていきたい。

何百年もの長きに渡り、ご先祖様達は、事あるごとに寄り合いを持ち、村の維持・発展に向けて、皆で力を合わせて来たのだろうと思う。その結果が今も残る、農道であり、用排水路であり、共同精米所であり、村人全てのよりどころである神社である。幼き日、父をはじめ住民総出で道普請や江ざらいを行い、作業が終わった後は、むしろを広げ、あぐらをかいて笑顔で酒を酌み交わしていたのを覚えている。また、今では無くなってしまったが、つい最近まで、葬儀は組内(近隣のコミュニティ)が仕切るという習慣も残っていた。

時代の流れの中で、我が曽比村もこの先どのような変化を遂げていくのか分からない。しかし、今の時代を担う者として、先祖代々・諸先輩方の魂を引き継ぐ者として、私が出来ること、正しいと信じることを精一杯やって行こうと決意している。