第22回 | 2010.10.25

日本農業の起爆剤になるか?! ~植物工場の展望~

農産物は立地環境や気象条件などによって、大きく品質や収量が左右される。これまで何百年にわたり品種改良を重ねてきた米でさえ、今年のような猛暑に襲われれば、品質等級が大幅に下落する。これが農産物と工業製品との最大の違いであることは言うまでもない。植物工場とは、気象条件などに左右されることなく、旬まで無くし、いつでもどこでも均一な品質・収量をあげるといった野菜の工業製品化を目指すものである。自然と向き合い共生することが農業の原点であるが、環境制御と自動化装置などのハイテクを活用した植物工場とは、言わば神への挑戦を意味する。すでに多くの企業が参入し、日本農業の起爆剤として期待されて来たが、ここに来て植物工場大手のフェアリーエンジェルが撤退するなど、業界の拡大路線に暗雲が立ち込め始めている。

植物工場には、閉ざされた環境の中で人工光源だけを使う完全人工光型と、基本的には太陽光を利用し雨天の場合などに人工光を補助的に使う太陽光利用型の2つのタイプに分類され、またその両方を使う太陽光・人工光併設型も存在する。いずれも温度・湿度や日照時間、水分量、土壌条件等を一定に保つことで、一年中効率的・計画的に野菜を生産することができる。栽培品目はレタス、サラダ菜、ほうれんそう、みつば、ベビーリーフなどの葉菜類が多く、近年はトマトやいちごにもチャレンジする企業が現れている。逆に土地利用型の大根やじゃがいもなどの根菜類やキャベツ・はくさいなどの重量野菜の栽培には不向きなようだ。植物工場のメリットは、季節や天候に左右されないとことに加え、単位面積当たりの収量が多い点があげられる。露地栽培では年2~3作が限度のレタスも、植物工場だと生育が早いこともあって年10作は楽にできるという。また、連作障害がない、無農薬栽培が可能、労働環境が快適なども大きなメリットと言えよう。では、なぜ植物工場は飛躍的な拡大が見られないのであろうか。

最大の課題は設備コスト、運営コストが極めて高いことだ。「農林水産研究レポート」によれば、ほうれんそうの植物工場の建設費は通常のビニールハウスの17倍、光熱費等の運営コストは47倍という試算が出されている。場所によるが、ハウス栽培のほうれんそうは最低年4作できる。植物工場でハウス栽培と同じコストパフォーマンスを実現するならば、年200倍以上の収量を上げなければならないことになる。近年、出力が従来の3倍で、電力は7割減らすLED(発光ダイオード)が開発されたが、設備コスト・運営コストの削減には限度があるようだ。また、これまでは建設にあたり、経済産業省・農林水産省から多額の補助金が出て、設備コストを引き下げてきた例が多い中で、既存のシステムでは独立採算運営を実現することはかなり難しい。FTA交渉で農業が足かせになっていることから、経済産業省としても何らかの働きかけをしなければならず取り組んでいるといった裏事情もあるのかもしれない。しかし、科学の進歩は著しく、こうしたコストをドラスチックに引き下げるシステムがやがて開発される可能性もあろう。

2点目の課題は高価格の維持だ。高いコストでつくるのであるから、そこそこの価格で売らないと採算ラインに乗らない。植物工場で生産された野菜は本来野菜が持つ栄養価が不足しているのではないかという風評がある。実際調べてみるとそんなことはない様だが、「野菜は畑でできるもの、太陽を浴びず工場でつくられる野菜なんて野菜ではない」と感じる消費者は多いようだ。また、無農薬栽培であることが実需者に評価されない面もある。飲食店でサラダを出す場合、植物工場で生産されたレタスだけが無農薬でも、その他の野菜がそうでなければ無農薬のサラダであるとうたうことはできない。レタスもきゅうりもトマトも植物工場で無農薬栽培し、一括して供給できる体制が出来なければ無農薬サラダはできない訳だ。そもそも農林水産省の規定では、「無農薬」という定義はなく各実需者の曖昧な判断により使用され消費者からの信頼度が低くなっており、逆に「有機栽培」には厳しい規定がありこうしたケースでは表示ができないというジレンマがあり、商品そのものの価値を消費者に訴求できないことが課題になっている。また、野菜が高騰している場合は、価格が安定している植物工場の野菜が多少脚光を浴びるが、急に大幅な増産ができるわけではなく、市況が下がった場合はこれに連動して値下げせざるを得ず、売れば売るほど赤字といった状況も見られるようだ。

3点目の課題は販路開拓である。市場流通では流通コストが高すぎて再生産可能な価格形成は実現できない。また、価格の問題に加え、ロットがまとまらない、マイナー品目が主流であるなどの理由から、市場では評価され難いのが実情である。そこで、直接取引を前提に、自ら販路を開拓する必要があるが、多大な設備コストを捻出できる企業力を持ってしてもこれは容易ではない。仮に無農薬≒有機という市民権を得たとしても、過去に掲載したように、国内における有機農産物のマーケットは全体の0.3%に過ぎず、スーパーなどで固定的にフェイスを獲得することは極めて難しい。外食産業では、食材の洗浄に多大な労力をかけており、植物工場の野菜は洗浄の手間が省けるというメリットがあっても、それだけでは大口の取引に結びつけるための動機づけにはなり難いようだ。比較的うまくいっている企業を分析すると、自ら物流システムを持ちルートセールスを行うなど、物流コストやリードタイムを圧縮して適正な販売価格で提供することが一つのポイントであると考えられる。

野菜が育たない砂漠地帯などでは植物工場の存立意義は高いし、近年海外へのプラント輸出も行われている。しかし緑豊かでおいしい野菜ができる日本で、果たして植物工場は必要なのだろうか。農業は、人と自然が共生することで創造される21世紀型産業だと私は考える。植物工場は今後思わぬ発展を遂げるのかもしれない。しかし自然との共生を放棄し、20世紀の象徴である科学を背景に機械化・合理化・効率化を進める植物工場が、果たして社会に、国民に受け入れられる農業なのかという疑問を抱くのは私だけであろうか。