第55回 | 2011.07.11

新規就農者の育成による農業経営の転換  ~「農の雇用事業」を活かせ~

平成21年度から始まった「農の雇用事業」という事業をご存じだろうか。農業法人などが農業経験の乏しい就農希望者を新たに雇用して、農業生産や経営ノウハウなどの研修を行う際、その研修費用の一部を助成する制度で、雇用者に対し新規就業者1人当たり月額上限9万7千円が最長12か月間支払われる。平成22年度の実績をみると、全国で1,644件の経営体が事業を利用し、2,246名の新規就農者が雇用されており、今年度は一次募集が終了したところである。全国農業会議所並びに各都道府県の農業会議が窓口になっており、雇用側と就農希望者とのマッチング支援を行っている。

詳しい事業要件は以下のとおりである。

【雇用側(農業法人等)の主な要件】
①農業を営む事業体(農業法人、農業者等)であること
②新たに農業に就く者を雇用し、就農に必要な技術等を習得させるための研修を行うこと
③研修生との間で雇用契約を締結し、雇用保険、労働者災害補償保険等の社会保険に加入させること
④本事業での助成を受ける経費に対して、他の助成(補助)を重複して受けていないこと

【被雇用者(研修生)の主な要件】
①就農意欲を有し、本事業の研修修了後も継続して就農する意思がある者であること
②新たに農業法人等に採用される者(または採用されてから6ヶ月未満の者)であること
③農業就業に必要な健康状態であること
④過去の農業就業期間が短い等により本研修を受ける必要があると認められる者であること

先般、私は青森県において、このような新規就農者たちを対象とした研修会の講師を務めた。「農家になるということ」というテーマで、農家として知っておくべき社会・経済環境の変化や、カリスマ農業者の事例などを紹介しながら生産・販売・財務など農業経営のポイントについて説明し、最後は例によって「若者よ。大志を抱け!」で締めくくらせて頂いた。

その後、第2部として、就農してみた感想などについて、受講生の個別発表会を行った。面白かったのは、ほとんど全ての受講生が同じような意見だったことだ。一つ目は、農家の親方がワンマンでとても厳しいという意見だ。毎日どなられてばかりで、皆へこんでいるようだった。2つ目は、農作業自体がきつくて体がもたないという意見だ。草むしりを長時間やらされ、足腰が立たないなどと泣き言が相次いだ。総じて、農業という職業が、これほどきついものだとは思わなかったという意見だった。彼らの前職はさまざまだが、今まで、これほど厳しい労働環境は味わったことがなかったのだろう。

近年農業ブームで、新規就農に淡いあこがれを持つ若者は多い。しかし、自然と向き合い新しい生命を育み、それで収入を得る農業という職業は、とても厳しい。生産現場はその都度、真剣勝負で、気の緩みは一年間の苦労を無駄にしてしまうことさえある。「親方が厳しいのは当たり前で、皆さんに早く一人前になって欲しいという愛のむちだ」、「農作業がきついのは当たり前で、真剣にやっていればそのうち筋肉がついて慣れる」と励ました。彼らは就農してまだ3か月~半年。あと半年間真剣に取り組めば、顔つきも体つきも変わってくるはずだ。

余談だが、流研の新入社員である荒井が、流研ブログでとても面白いことを書いていた。「就農希望者に農地を貸してくれる地権者がいないといった課題があるようだが、たった数回の講習会を受けただけで、努力も情報収集もなしに手ぶらでやってくるような者に、大切な農地を貸すはずがない。失業者に就農を薦めようとする政策には心底腹が立つし、お上がそうやって農業をバカにしてきたから、迷える子羊たちが生まれてきたのだと思う。」といった厳しい内容だ。意見ごもっともで、こんなはっきりした考えを持った若者が流研に来たことを嬉しく思った。

しかし、現在、篤農家と言われる人たちが、必ずしも若い頃から殊勝な心がけを持っていたとは限らない。私が知る限り、若い頃はどこか浮かれた気持ちで就農し、現実に打ちのめされながらどこかで転機をつかみ、やがて天命を知り、大きく成長していったという篤農家も多い。若いうちは誰でも、悩み、苦しみ、時には現実逃避をしながら、自分が歩むべき道を探すものだ。こうした点を踏まえると「農の雇用事業」は決して悪い政策ではないと思う。ただし、全国の就農希望者たちよ。甘えるな、負けるな。先ずは3年間辛抱して、心と体をつくれ。

そして一方、雇用者側にとって「農の雇用事業」は、農業経営発展に向けた大きなチャンスになると考えられる。技術研修ができること、社会保険に加入させることなど先に整理した条件が雇用者側に課せられる。この事業を活用するためには、就農希望者を育成して、その生活・生命を保証するとともに、新規雇用者を活かし切るだけの生産計画・経営計画をつくる必要がある。これは、従来の家族経営から脱却し、企業的経営への転換を図ることを意味する。助成金で安い労働力を確保しようという安易な考えではなく、この事業を活用することで、法人化や、あるいは規模拡大を目指すという大志が必要である。

事業申請したところで、前述のように、必ずしも意に沿った若者たちが来るとは限らない。最初はやる気のあることを言いながら、働いて一週間も経たずに辞めてしまったという話もよく聞く。しかし、心も体も未熟な若者たちに、技術を伝え、魂を吹き込み、次世代の篤農家に育成することが、農業経営者の条件であり使命である。私が懇意にしている著名な農業生産法人のカリスマ経営者たちはすべからく、人材育成に力を入れており、若者を育てることが実にうまい。逆な見方をすれば、若者を育てられない人は、自分自身の成長もないと言えるだろう。

日本の農業が、産業として大きく立ち遅れてしまった要因の一つに、雇用を伴わない家内制手工業の域を脱していないことが挙げられる。「農の雇用事業」などを活用することで、雇用を伴う企業的な農業経営への転換を図るとともに、やる気のある若者をどんどん就農させ、次世代の農業経営者を創出し、持続的発展を遂げる強い産業づくりにつなげたい。