第48回 | 2011.05.23

改めて知る日本一の農業生産法人の姿! ~野菜くらぶ研修レポート①~

去る5月18日・19日の2日間、フード・アクション・ニッポン・アワードでご一緒させて頂いている消費科学連合会会長の大木先生、おなじみのヤマケンさん、東京大学の中嶋先生、電通の西原さん、そして流研スタッフの真鍋の6名で、野菜くらぶの澤浦さんのところへ視察研修に伺った。平素から澤浦さんと親しくさせて頂き、著書も熟読していたが、この度の視察を通して改めて、彼が日本一の農業経営者であることを知った。2日間を通して大変多くのことを学び、多くの感動を頂いた。その感動は1回のコラムでは書ききれないボリュームなので、これより当面、シリーズとして掲載していきたい。

先ずは2日間の旅程を簡単に整理する。1日目は上毛高原の駅で集合、歴史好きの私の我がままで、真田家ゆかりの沼田城址を見学、その後加工場や集出荷場を視察した。夜は「野菜くらぶ」の主要メンバーと沼田市内のホテルで会食した。2日目は4時15分にホテルを出発し、夜明け前からレタスの収穫体験を行った。その後、トマトの現場と、こんにゃくのほ場を視察し、手打ちそばを食べて解散した。この間、1台のワゴン車に全員が乗って澤浦氏が付きっきりで案内して下さった。

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多くの方はご存じのことと思うが、まずは澤浦氏のプロフィールを簡単に説明しておく。澤浦氏は、1964年に群馬県昭和村の農家の長男として生まれ、地元の農業高校卒業後、畜産試験場の研修を経て、家業の農業を継いだ。最初は養豚からはじめ、当時景気が良かったこんにゃくの栽培に着手した。しかし、間もなくこんにゃく市況が大暴落し、破産状態に追い込まれる中で、6次産業化の先駆的農家としてこんにゃくの加工事業にチャレンジし、農業経営を軌道に乗せた。1992年には地域の若手農家とともに「野菜くらぶ」を設立し、レタスをはじめ多様な有機野菜の栽培を本格的に始めた。1994年には、こんにゃく・漬物などの製造・販売を担う「グリーンリーフ」、トマトの栽培を担う「サングレイス」、有機のこまつな・ほうれんそうの生産を行う「四季菜」を立ち上げ、いずれも代表取締役に就任している。野菜くらぶの卒業生が核となって、青森県と静岡県でもグループ会社を設立し、リレー出荷による周年取引体制を築いている。グループ全体の年商は20億円を超えており、国内屈指の規模を誇る。

周辺は、戦後国の開発事業によって開拓された地域で、標高300m~800mの大地に、日本とは思えないような美しく肥沃な畑地が広がっている。しかし、かつては、市場競争に負け続けた地域であり、何を作っても有利販売につながらなかったという。そこで全国に先駆け始めたのが実需者との直接取引であり、地域のほんどの農家がこの販売形態をとっている。澤浦氏の話によれば、この地域の農家の全てに、「約束は守る、時間は厳守する」といった行動規範が定着しているという。「7時集合と約束したら、全員きっちりその時間にきますよ。それが出来ないと契約取引はできません。」我々はよく、地域の農家を集めた検討会などを開催するが、誰が来るかはその時にならないと分からない、7時開催と約束しても過半は時間どおりには来ないなどといったケースが非常に多い。「野菜くらぶ」グループの原点もここにある。夜の懇親会でも、大変忙しい中、主要メンバーのみなさんが7時きっちりに集合し、私たちを歓待して頂いた。なお、参加して頂いたメンバーと親しく話す中で、どの方も崇高な理念を持った仕事人であり、一線級の逸材であることが良く分かった。言葉で尽くせないほど、苦労しているはずなのに、そんなそぶりは一切見せず笑顔を絶やさない。人として本当に「かっこいい」と思った。

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機械いじりが好きな澤浦氏は24歳の時、こんにゃくの播種機を開発したという。その現場も見せて頂いたが、畝を自動的につくりながら、等間隔に種イモを植え付ける機械である。人力に比べて10倍以上の作業の効率化を実現した。開発した機械は、メーカーに技術を無償で公開して量産化し、現在地域のこんにゃく農家のほとんどが使うようになった。特許をとって技術を売ることを考えなかったかと言う問いに対し澤浦氏は、「公開すべき技術とすべきでない技術がある。この植え付け機は公開してみんなで使ってもらった方が、地域のためにも自分のためにも良いと考えた。」と語った。その結果、昭和村は日本一のこんにゃくの産地になり、不動のブランドを確立している。こんな考え方を24歳という若さで持った澤浦氏はやはり並大抵の人物ではない。

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「野菜くらぶ」及関連会社の皆さんは、全員がとても明るく楽しそうに仕事をしている。澤浦氏は現場を回りながら、一人ひとりに声をかける。まるで家族のような暖かい会社だ。事務所のあらゆるところに澤浦氏直筆の標語が貼られている。トイレを借りたら、正面にはやはり標語が張られていた。宝塚歌劇団の「ブスの25カ条」と題した貼り紙だ。「ブスはあいさつしない」「ブスは笑わない」「ブスは人の話を聞かない」「ブスは自分だけが正しいと思っている」などなど。こんな張り紙に澤浦氏の生き方や思想をかい間見ることが出来るし、その思想が全ての従業員に浸透しているのだと思った。

現場を回りながら、もう一つ関心したことがある。澤浦氏は、どの現場に行っても、そこに働いている若手スタッフを私たちに紹介し、会話に参加させていたことだ。澤浦氏にとって一人ひとりが自慢のスタッフだ。そして私たちと少しでも直接話をさせて、何かを学んで欲しいという親心も感じた。ある若者は、学生時代の奔放な生活を改め生産現場のリーダーになっていたし、ある若者は、実家の家業を継ぐためにここで必死に技術を習得しようと頑張っていた。みんな澤浦氏が大好きで、澤浦イズムに心酔し、数年間でたくましい農家に成長している様子がよく分かった。こんな企業が伸びない訳がない。

「野菜くらぶ」のメンバーは、皆夫婦仲が良いと聞かされ、とても感心した。「農業は家族で取り組むもの。奥さんの理解と協力なしでは成功しない。」という澤浦氏の言葉は印象的だ。澤浦さんの奥さんともお会いしたが、初対面でいきなり澤浦氏との馴れ初めを話し出すような、とてもチャーミングな方だった。家族があって、家族のような会社があって、心から信頼できるスタッフや同士がいて、その全員が澤浦氏を核に同じ夢と理想を一緒に追い求めている。そんな夢のような農業生産法人がそこにあった。そして、改めて、人として、農家として、経営者として、澤浦氏は最高の人物であると確信したし、私は彼の一層のファンになった。先ずは人として、そして経営者として、私も彼のようにありたいと強く感じた。

この度は「野菜くらぶ研究レポート」の第一弾として、日本屈指の農業生産組織である「野菜くらぶ」グループの社風と、カリスマ農業経営者である澤浦氏の人物像の一端についてコメントした。次回からは、「野菜くらぶ」グループの具体的な事業内容を紹介しつつ、今後全国の農家が取り組むべき農業経営のあり方などについて、私見を述べていきたい。