第120回 | 2012.11.19

報徳思想に学ぶこれからの社会と私 ~平成の二宮金次郎になりたい訳~

私が「平成の二宮金次郎」と自称しはじめて、なかりの年月が経った。大それたことを言うと周囲の嘲笑を受けているが、本人は至ってまじめに取り組んできた。しかし、50歳を過ぎてなお、金次郎先生の足元にも及ばないのが実状であり、そろそろ焦りが出てきたというのが本音である。本日は、自らの原点を振り返り、今後私が進むべき道を整理するためにも、金次郎先生のことを書いてみたい。

薪を背負って本を読む像で有名な、二宮金次郎(尊徳)先生は、江戸時代後期の農政家であり思想家である。金次郎先生は、現在の小田原市栢山の比較的裕福な農家の長男として誕生した(生家跡地は私の家から300mのところ)。幼少時から教養のある父に教育を受け、優しい母の慈愛を存分に得て幸せに育った。しかし、異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、不幸にも父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥った。

金次郎先生は伯父の家に預けられるが、幼少期から逆境にもめげず卓越した才能を発揮する。作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫し、「積小為大(小を積んで大となす)」の経済原理を体得する。そして、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく「わが家の再興」に成功した。身長は180㎝以上もあり、当時としては大男で、誰よりも勤労に励んだと言う。

その後、その手法を発展させて近親者の家政再建、若党として仕えた小田原藩家老服部家の財政再建に成功する。また、窮乏藩士救済のための金融互助組織「五常講」を設立したことに加え、藩の年貢徴収用の斗枡の改良や統一を行い、独自の経済理論を確立して行く。やがて、そのすぐれた発想と実践力が藩主大久保忠真から見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内である旗本、現栃木県の桜町領の財政再建を託される。

金次郎先生はこれを契機に、村おこし、国づくりの仕事に邁進することになる。桜町領再建は苦節10年の難事業であったが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に飛び回ることになる。晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組み、その後も、すぐれた弟子たちと共に、諸家、諸領の復興指導も続けた。

貧困にあえぐ村を、年貢が取れる村に変えていくための手法を報徳仕法と言い、これに金次郎先生の仁徳、思想を垣間見ることができる。まずはその村を管轄する藩に、村が復活をするまで年貢を少なくしてもらい、そのために収入が少なくなる藩にも倹約生活をお願いする。村では、収穫よりも先に、まずは村の人びとの生活を豊かにする。人びとの心に余裕が出来た時点で農業改革に入る。少しずつ収穫が上がれば、少なくなった年貢を超えた分を貯蔵して余裕を作る。その余裕分を次年度に回したり、さらに農地を改革してさらに収穫を上げていく。安政3年、70歳でその生涯を終えるまで、この報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したと言われている。

彼の死後、彼自身の所有する農地や財産などはなく、あってもすべて他の村に貸し出していたり、人に分け与えたりして、個人としての財産らしい財産は何もなかったそうだ。「世のため、人のため」一生涯を通じて、各地の農政改革にその身を捧げ、それをやり遂げた金次郎先生は、思いやりが深く、多くの人々に愛され信頼された「仁」に生きた人である。

金次郎先生の教えは、農業に対する技術だけにとどまらず、金融、不動産、ビジネス、政治、儒教と多岐に渡っており、まさにスーパーマンであったと言える。しかし、村おこしに特効薬などはなく、地域経済と人々の心を根気よく立て直していくしか道はないと考えていた。また、経済ばかりを先行させても持続可能では無く、そこには道徳が必要不可欠であると説く。

金次郎先生の教えは、「積小為大(小さなことを積み重ねて大きなことを為す)」、「至誠(誠を尽くす)」、「勤労(よく働く)」、「分度(身をわきまえる)」、「推譲(世の中のために尽くす)」などを原則としている。また、それらの教えの根幹を成すものとして、「たらいの水」の例話がある。『「仁」や「義」とは、このたらいの水のようなものだ。このたらいの水を手で自分の方にかき寄せると、一旦は自分の方にくるがまた向こうへ流れていく。逆に、向こうへ流してあげれば、一旦は向こうへいくがまた自分の方へ帰ってくる。』これは、私利私欲にはしることなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されるという考え方である。

振り返れば日本は、欧米の合理主義精神を吸収しながら、世界屈指の経済大国に発展してきた。しかし、この輸入した合理主義の経済社会システムの偏重は、近年、利益第一主義がまかり通り、大量生産・大量消費と言うスケールメリットの追求が美徳とされる社会構造をつくってきた。また、道徳よりモノやカネを優先させることになり、資源の浪費、農産物価格の低迷、環境破壊、家庭・地域の軽視など多くの社会問題を噴出させる原因になっている。一方で東北大震災を契機に、これまでの反省を兼ねて日本及び日本人が歩むべき方向性を、見直す機運も高まっている。「経済一辺倒もだめ、道徳一辺倒でもだめ、道徳経済が一体となった社会でなければならない」と、道徳と経済一元化を説いた金次郎先生の教えは、現代社会において再評価されるべきでろう。

私は、物心ついた時から金次郎先生を郷土の誇りに思い、尊崇してきた。そして、農業・農村の専門コンサルタントと言う職業を選んだ。「人にやさしい男であれ」、「誰よりも誠実に、懸命に働く男であれ」、「人々を正しく導くリーダーであれ」、「地域と農業を変えるための地道な活動家であれ」。私はそんな金次郎先生のような男になりたい。そしてその思いを、流通研究所において実践し、一つずつ形にして行きたい。しかし、その道は果てしなく遠く、険しいようだ。