第202回 | 2014.08.18

地元神奈川で日本の農業を変える逸材を見た ~次世代型施設園芸に取り組む井出トマト農園~

神奈川県は、豊富な商圏人口が存在する反面、農地面積が狭いことから、産地化が進み難く、直売を基本とした家族経営による農業が主流になっている。金次郎野菜プロジェクトに取り組む若手農家も、技術力、品質を高める努力を積み重ね、目の前に存在する消費者ニーズを捉えることに重点を置いた経営を行っている。神奈川県の農業は、都市農業の典型であり、その特性を活かすことが、経営戦略の基本になることは間違いない。

一方、こうした地域特性から、家族経営からの脱却は難しく、雇用を伴う法人化は、ほとんど進んでいない状況にある。神奈川県においては、経営リスクを伴う法人化は、必ずしも適切な経営形態であるとは考えていない。家族経営ならば、季節性が高い労働環境や、売上に応じた所得の支払などにも柔軟に対応できるが、周年雇用が前提となる法人となれば、そうはいかないし、支払が滞れば倒産の憂き目に合う。しかし一方で、農業経営の発展性、次世代に引き継ぐための持続性などを考えると、法人化も検討すべきであると考えてきた。

先般、地元金融機関の紹介で、神奈川県の藤沢市でトマトの施設園芸に取り組む、株式会社井出トマト農園の代表取締役・井出寿利氏と歓談する機会を得た。井出氏は県内でも有名人で、美人の奥様と一緒にマスコミにも何度か登場していたので、名前はよく知っていたが、お会いしたのは、この度がはじめてだった。1時間ばかりの情報交換と、ほ場などの見学を通し、「地元神奈川で日本の農業を変える逸材を、とうとう発見した」と思った。その夜は、感動で興奮がさめやまず、翌朝さっそくお礼の電話をいれさせて頂き、このコラムへの掲載の了承も頂いた。

まだ30歳代の半ばである井出氏は、お父さんのトマト経営を引き継ぎ、法人化すると同時に規模を拡大し、栽培環境制御型の栽培システムを導入した。お父さんの代にロックウールを使った水耕栽培を開始しており、県内では水耕栽培の先駆け的な存在だった。7棟のハウス(ハウス面積3000坪)で、大玉・中玉・小玉の合計10種類以上の品種を栽培しており、周年出荷体制を確立している。社員6名、パート従業員25名の大陣容である。販売は、ほ場内にある直売所に加え、県内のスーパー等への直売が約7割、市場出荷は約3割だそうだ。また、生果だけでなく、トマトジュース・ケチャップなどの6次産業化にも着手している。

先ず、非常に感心したのが、トマトづくりに対する実直な姿勢と情熱、そして確かな知識である。日大の生物資源科学部という名門出身で、卒業後民間企業にも勤務経験を持つことから、研究意欲は高く、考え方も論理的で実践的である。ホームページでも、玉別のおいしさカレンダー、ハウス栽培の現状や課題、トマトの保存・加工方法など分かりやすくトマトのことを解説している。また、井出氏のブログでは、生産から販売までの年間を通した格闘や栽培上の工夫などがこと細かに記載されている。生産と消費の両面から、豊富な知識と高い技術を生かしながら、最適な商品を提供し続けて行こうという姿勢が伺える。ホームページも充実しているので、是非アクセスして欲しい。
*井出トマト農園ホームページ: http://www.idetomato.com/

次に高く評価したいのが、環境制御型栽培システムの技術向上意欲である。前々回のコラムにおいて私は、施設園芸では、見える化・データ化をキーワードとした環境制御システムの開発が急ピッチで進んでおり、栽培技術は今後ドラスチックな革新を遂げるだろうと述べた。そして、この分野で世界最高水準を誇るオランダに肩を並べる日は近いのではないかとコメントした。井出氏は、それを実践しており、育苗から栽培・収穫まで、高度なシステムを導入し、感に頼る農業から、データに基づく農業への転換を進めている。

企業秘密の漏えいにならない程度に、井出トマト農園の栽培方法についても紹介しておこう。先ずは、一年中安定した苗を生産するために「苗テラス」という育苗システムを使っている点が注目される。 苗テラスは温度や湿度、二酸化炭素濃度、光、肥料濃度のコントロールが可能で、最適な環境で健康な苗をつくることが出来る。全て接ぎ木で苗をつくり、作業効率を考えて畝間が1間もあるロックウールのほ場に定植する。成長過程では、茎を根本から横に1度倒し、紐にクリップでつり成長とともに誘引し、身の丈は約2mに統一する。受粉にはマルハナバチとトマトトーンを使っている。

清潔なハウス内を見せて頂きながら、井出氏は語った。オランダの環境制御に比べ、まだまだ未熟で改善すべき点が多いと井出氏は語った。井出氏は、先日も1週間、施設園芸メーカー様主催のオランダ農業視察に参加したそうだ。オランダは施設トマトの先進国であり、最新のハウス、生産者の高い生産技術、環境管理など、トマトの生産について参考にすべきものがたくさんあったそうだ。夏場のこの時期、ハウスもののトマトは味が極端に落ちる。しかし井出氏のトマトは、この時期でもしっかりしたトマト本来の味を保っている。飽くなき探求心、向上心が、井出トマト農園の栽培技術を支えているのだと思った。

そして、井出氏が将来とんでもない大物になると確信した理由は、井出氏が持つ経営者としての資質と視点、そして経営者として成長しようとする姿勢と努力だ。井出氏は、農業を生産と販売の両輪で捉えている。良いものが出来ても、それを確実に現金に換える販売が手薄では、農業経営はうまく行かない。直売7割、市場出荷3割の構成は、最適な生産・販売システムを研究した結果と言える。また、最高級のトマトをつくるのではなく、一年を通して安定した品質・収量を保つ工夫をすることで、売上の確保・向上に努めている。先のオランダでは、労務管理・経営管理の手法についても多くのことを学んだようだ。緻密な原価計算のもと、確実な利益を得られる経営を実践しているのだと感じた。

まだ、企業秘密の領域なので多くは語れないが、井出氏は、多県での第2の生産拠点を整備し、周年出荷体制を強化して、商圏人口が豊富な神奈川県で有利販売する構想を持っている。また、出口戦略として、現在、ほ場内に設置されている直売所の拡充と機能強化を進めようと考えている。

これまで全国の農家を見て感じてきたのは、大型設備投資の危うさだ。多くの農家は、売上の増減には敏感だが、コスト管理については極めてルーズで経営感覚が乏しい傾向にある。ましてや、原価償却費というコスト管理と、借入・金利の支払いという資金繰り管理が発生する設備投資に対する経営感覚はさらに欠如している。融資基準が緩やかな制度資金を借りて、大型設備投資を行い、経営に行き詰まった農家は非常に多い。しかし井出氏の場合、民間の金融機関も太鼓判を押すほど中長期プランがしっかりしている。私も井出氏の人となりを見て、経営者としての考えを聞き、この度、構想している事業は必ず成功すると確信した。

神奈川県では、和郷園の木内氏、野菜くらぶの澤浦氏、トップリバーの嶋崎氏のような英雄は出現しないだろうと思っていた。しかし、とうとう地元神奈川県で、日本の農業を変える逸材を発見した。井出トマト農園はやがて、年商10億円の農業法人に成長するだろう。そして、オランダ型の施設園芸経営を確立したあかつきには、もしかしたら農業生産法人として国内で初めての上場企業になるかもしれない。今後の井出氏の動向に大いなる期待をすると共に、私も出来る範囲で支援していきたいと思う。