第249回 | 2015.08.24

企業を農地保全の担い手へ ~ 神奈川県の新規事業を通して ~

私が住む神奈川県の県西地域では、農家の高齢化や米価の低迷のために、水田の耕作放棄が急速に進んでおり、豊かで美しい農村景観の維持が困難になりつつある。農家の高齢化というより農家の主人が死亡し、高齢の未亡人が地権者として残っているというケースが年々増えている。高齢の未亡人に水田の農作業ができるはずがなく、農地の借り手、農作業を受け手を探している状況である。

こうした課題に対応するために、地域の有志で設立したのが農業生産法人(株)おだわら清流の郷である。しかし、農地を借りて欲しい、農作業を請け負って欲しいという地域の要望が高まっているにもかかわらず、既に能力の限界に達しており要望に応えきれない状況にある。周辺の中核的な農家もほぼ同様の状況であり、新たな手を打たなければ、今後遊休農地が急速に拡大することは明らである。出し手が受け手を年々上回り、既に農家だけでは、地域の農地・農業を守れないのが実状といえる。

一方、神奈川県でも農業参入を検討する企業は多く、多様な相談が県や市町村、そして流通研究所にも寄せられている。しかし、相談件数に対し、実際に参入を果たした件数は1割にも満たない。参入を見送った理由は様々であるが、参入に向けた共通課題の一つが、地域での信頼が得られず優良農地や集積した農地が確保できない点にある。先祖代々守ってきた農地を見ず知らずの者に貸すわけにはいかない。ましてや企業に貸すなんてとんでもないと思う地権者がほとんどである。

こうした状況に対し、この度神奈川県は、企業が水田の農作業を受け負うことで、農地の保全と地域の振興に寄与すると共に、地域での信頼を獲得し、その後の農業への本格参入の基盤をつくるというモデル事業を推進しており、流通研究所はその調査・研究業務を受託した。今年度は、地域や地権者との調整を踏まえ、企業と地域とのマッチングをめざす。非常に難しい事業であるが、地域に貢献できる新たな仕組みづくりに向けて全力を尽くす所存である。うまく行けば、担い手不足という根本的な課題解決につながり、神奈川県はもとより全国のモデルになると考えている。

では、農作業受託を行う企業側のメリットは何か。農業参入を検討している多くの企業は、トマトのハウス栽培をやりたいのであって、稲作の作業受託をやりたいわけではない。しかし、そもそも農業・農村の本質を理解せず、一気に事業化しようという発想に無理がある。優良農地や集積農地を確保できないという課題は、企業側の現状認識の甘さと手順の粗忽さにある。こうした視点を踏まえると、参入障壁が比較的低い農作業受託は農業参入をめざす企業にとっての第一歩であり、本格参入に向けた試験期間として位置付けることが出来る。

農作業の受託を行うことは、農地の維持・保全に苦慮する地域の人々にとても喜ばれることであり、社会貢献事業であると言える。この事業に取り組むことにより地域における信頼が向上し、本格的参入に向けた優良農地・集積農地の確保が可能になる。一度地域で信頼さえ得られれば、農地の確保・集積は加速度的に進むことになろう。また、この際、河川の清掃活動や祭りなどへも積極的に参加することをお薦めする。わずか1日や2日の地域活動に顔を出すだけで、地域の人々の好感度は飛躍的に高まるし、顔を知ってもらうことが出来る。農作業の委託先、農地の貸し出し先の顔が見えるということは、その後の地域の協力を得るための非常に重要な要素にある。さらに、農作業の受託を通して、農業の基礎的な知識や技術を習得できる。

また、春から秋にかけて比較的仕事が少ない地域の土木・建設業者などにとって、農作業を受託することは、雇用者の有効活用や副収入の確保など経営の一助になるであろう。もっとも、耕起・代かき作業の受託料は1反あたり2万円程度で、仮に一町歩分作業受託を行っても20万円にしかならない。一方、地域では、稲作はあきらめて遊休地にしているものの、まわりに迷惑をかけたくないと言う理由で、定期的な草刈りや耕起のみの作業を委託する地権者も多い。こうした作業を拾っていくと、相応の売上規模が期待できよう。

農業へ本格的な参入をめざす企業は、水田の農業受託を皮切りに、段階的な事業展開を考えて頂きたい。例えば、第2ステップでは農作業の受託ではなく、農地の借り受けによる米の生産・販売事業へ参入する。第3ステップでは、水田の裏作・転作による露地野菜の生産・販売事業へ参入する。そして第4ステップで、集積した農地の借り受けによる施設園芸作物の生産・販売事業に参入するといったシナリオだ。中長期的な展望を持ち、最初の設備投資は極力抑え、手ごたえをつかみながら、ステップアップすることが肝要である。

企業が新規事業を考える場合、3年で収支トントン、5年で資金回収という計画を立てるのが一般的だ。しかし農業への参入にあたっては、そもそもこの考え方自体に大きな間違いがあり、3年・5年ではなく、10年・20年のスパンで考える必要があろう。こうした中・長期計画を踏まえ、最も参入障壁が少なく、その後の事業展開の基礎となる水田の農作業受託から着手していくという発想を持って頂きたい。

しかし、農作業受託型企業参入のモデルを構築するにあたり、いくつかの課題が浮上する。その課題の一つが、トラクター、田植え機、コンバインなどの機械をどのように確保するのかである。それなりの性能を持つ一連の機械を購入するためには、1,000万円以上の投資が必要である。一方、地域では農地と一緒に農業機械も余ってきており、地主から機械を借り受けて作業をすることも想定できる。しかし、こうした機械の多くが老朽化していたり、性能が低かったりする可能性が高い。この点についても、今後十分調査を行い、機械の確保の方策とその条件などを明らかにしていきたい。

二つ目の課題としては、地域の顔役を発掘し地域調整の役割を担わせることにある。農地中間管理機構に農地が集まらないのは、地域にとって中間管理機構の顔が見えないためだ。誰が農地を引き受けてくれるのかが分からないので、どんなに説明を受けても農地を出そうとしない。地権者にとって大切なのは、システムやルールではなく、安心感であり、気持ちの問題である。地域の顔役が話をつなげれば、頑な心も一気に氷解し、農作業の受委託や農地の賃貸借は驚くほど円滑に進む。本来地域の顔役は、農業委員やJAの営農担当者であったが、人数の減少、業務の過多などにより、顔役としての機能を十分果たせなくなった。一方、地域の自治会や水利組合の役員などを長年務めるなどして、地域で人望を得ている顔役は必ず存在するものだ。地域の仲介・調整を担うこうした人材をいかに発掘し機能させるのか、その仕組みづくりも研究テーマである。

さらには、企業側の売上に少しでも寄与するようなまとまった作業量の確保、耕起・代かき・田植え・収穫など作業内容の範囲の明確化、作業期間の調整、作業料金の設定など、この事業は課題だらけといえる。しかし、地域では、もはや農家だけでは農地・農業は守れない状況にあり、企業の手を必要としている。この度の事業は、社会的に大変意義が大きい事業であると確信している。私自ら地域に働きかけて、人脈を活用しながら、様々な課題を一つずつクリアして、一定の方向性を明らかにすると共に、次年度以降の普及モデルになるような成果をあげていきたい。