第201回 | 2014.08.11

人口減少社会のゆくえ ~持続可能な社会とは~

先般、朝日新聞の一面で、「東京そこにある老い」というタイトルの、人口減少社会の現状と課題に関する記事が掲載されていた。私たちの年代は、一貫した人口増加社会の中で育ち、人生を歩んできた。出世率は早くから低下傾向にあり、山間地域での過疎化は社会的課題として捉えられていたが、まさか日本全体が人口減少社会を迎えるなど夢にも思わなかった。人口の増加と共に、全てが右肩あがりで、バブルが崩壊した時でさえ、明るい未来を信じ、持続的に発展するであろうこの国の社会・経済に、自分の姿を重ね合わせていた。しかし、もはやそれは幻想であり、これまで身に付いてきた根本的な考えや、価値観を大きく変えていく時代が到来したと言えよう。

東京オリンピックの開催を前に湾岸のタワーマンションエリアの人口が急増する一方で、当時世界一のマンモス団地と言われた高島平ではゴーストタウン化が急速に進んでいる。40年前、高島平では急増する人口に保育園や小学校の施設などが追いつかない状況だったが、そのいくつかの施設が開校30年余りで閉校する結果になっている。40年後の将来、現在人気の湾岸エリアも同じ運命を辿ることになるのだろうか。高齢化が進むエリアでは、住民コミュニティは総じて希薄であり、孤独死する住民も多い。かつて急増する子ども達へのインフラや社会環境の整備が課題だったエリアは一転、急増する高齢者への対応が追い付かない状況にある。東京への人口一極集中は、全国的な問題であるなどと言われて来たが、その東京がむしろ、最大の問題児となりつつある。

政府もこれまで、様々な少子化対策を打ち出してきたが、人口の減少に歯止めはかからなかった。政策が後手に回り、投下予算も不十分であったとの批判もあるが、根本的な問題は、経済最優先の社会的なシステムと、日本人の人生感・価値観にある。日本は、先進国の中でも完成度が高い競争社会を実現している。競争に勝ち抜いた者だけが勝ち残り、その努力を怠った者、勝ち抜くだけの力量がない者は、勝ち組に従って生きていくしかない。

しかし、勝ち組も負け組も、世界一長いと言われる労働時間にその人生の多くの時間を費やし、休む暇もなく走り続けなければこの競争社会から脱落してしまう。こうして日本は、世界一の品質・サービスを築きあげる一方で、出口のない価格競争を繰り返してきた。競争に勝つために、いずれの企業も、正規雇用者数を抑制し、低賃金でいつでも解雇できる非正規雇用者を増やしてきた。正規社員は家庭を犠牲にして仕事に奔走し、非正規社員は正規社員への昇格を目指して頑張っている。国民全員で寝食を忘れて働いてきたが、経済的な豊かさを感じている人はそう多くはいないようだ。

現在の生涯未婚率は、男性20.1%、女性は10.6%で、非婚化は年々進んでいる。正規社員になれず、経済的にも雇用面でも不安定で、所帯を持てる環境にない男性が増加している。一方、女性の社会進出は急速に進み、経済的にも自立する女性が増え、男性に依存する必要性が低くなった、あるいは仕事に集中したいと考える女性も増加傾向にあろう。結婚して当たり前の時代は遥か昔のことで、結婚しなくても問題ない、あるいは結婚は煩わしいという考えを持った人は確実に増えているようだ。また、結婚しても、生活環境は厳しい。共働き世帯では、保育所などの子育て環境の確保や、時間的・経済的な制約などの課題から、子どもを産んでも1人、多くても2人といったケースが多い。

世界全体で見ると、人口は増加し続けている。地域別でみると、アフリカ、アジアの人口は今後も爆発的に増加し、将来的には2つの地域で全人類の8割を超えるようになるという予測まである。一方、日本の人口は、このまま行くと、2030年には1億人を割り込むと同時に、人類が経験したことがないような超高齢化社会を迎えることになる。減少する人口を補い、超高齢化社会を支えるためには、欧米のように移民を受け入れるしかないようだ。移民受入に対する国民の抵抗感は未だに非常に強いが、このままではやがて、国体を維持できなくなる。

私が生まれ育ち、愛してやまない曽比村も、少子高齢化の進展をひしひしと感じるようになってきた。10年前、大人だけでなく地域の子ども達が参加できる祭りというコンセプトを掲げ、私が先輩方と共に再生させた秋の神社祭の継続も危うい状況にある。地域の子ども達にすくすく育ってもらい、やがて地域の担い手へと成長して欲しい。そして、大人になってこの村を離れても、稲穂が黄金色に輝く農道を担いで周った神輿や、まわしをつけて真剣に戦った神前相撲などの思い出を通し、美しい郷土を忘れないで欲しいと願ってきた。最盛期の子ども達の参加数は160名以上だったが、昨年度は大きく減少し、今年もさらに減少が予想される。また、有志で構成された30名ほどの祭の実行委員の高齢化は甚だしく、尊敬する諸先輩方の多くが70歳を超えつつある。このままでは、自慢の前兆20mの幟を立てることも出来なくなる時がやがてやってくる。

私が有志と共に設立した「(株)おだわら清流の郷」は、高齢化が進む中で、地域農業の担い手不足に対応するための農業生産法人である。まだ設立して1年であるが、当初の目的であった次世代の人材の確保・育成など、将来の展望は見えない状況にある。今後は、稲作+野菜を経営の柱とし、定年を迎えた非農家や帰農者達を仲間に入れながら、地域を守る組織としての役割を発揮していきたいと考えている。現在の中核メンバーも、あと10年も経てば足腰が危うくなってくる。その前に、次世代にバトンタッチできる仕組みをつくり上げる必要がある。過疎化・高齢化の波は、我が郷土はもとより、全国の農村地帯に、誰の目にも見えるかたちで押し寄せている。この波は、今後、その勢いを増して永遠に続くことが予想されるが、いずれの地域でも抜本的な対策を打てない状況にある。

さて、人口減少社会には歯止めがかからないのか。国民の全ての男女が結婚し、2人以上の子どもを、もうけ続ければ人口は維持できる。結論から言えば、先ずそれは無理であろう。歯止めをかけるためには、経済最優先の社会的システムを変えて行かなければならないが、これまで築き上げてきたシステムを放棄すれば、国際競争に負けてしまい、日本人は収入が得られなくなり、国民全員が貧困に陥ることになろう。そして、社会が変わらない限り、国民の人生感・価値観も大きく変わることはない。したがって、人口が減少していくこと、経済も縮小していくことを前提に、それぞれがそれぞれの立場で、今出来ることを精一杯やっていくしかないと思う。

地域福祉の要となる民生委員は、全国的に担い手不足で、一人の70歳代の民生委員が、100人の80歳代・90歳代の方々を見回っているのが実状である。一方、地域の高齢者の多くは、足腰が経つ間は農業に従事し、自治活動や集落営農活動など社会活動に貢献している。今後急増する定年者は、年金をもらって気ままに暮らすだけではなく、出来る限り地域に貢献し、経済活動に参加する姿勢が求められよう。高齢者は、生涯地域の担い手であり、経済活動・地域活動の主役であると言う考えを持つ必要があろう。

そして、若者達は、もっと愛し合い、必ず結婚して、たくさん子どもを産んで、誰よりも幸せな家庭を築こう。経済面など後先不安なことは多いが、結婚してしまえば何とかなるし、かわいい子どもが産まれれば、無限大のパワーが湧いて、どんなに辛いことも乗り越えて行ける。そして地域は、社会は、子ども達と子育て世代をみんなで支援していこう。最後は浪花節のような話になってしまったが、人口減少に少しでも歯止めをかける唯一の手だては、より多くの男女が愛し合うことに他ならない。愛は地球を救う。そして愛は、持続可能な社会をつくる。この歳になっても、そう信じてやまない今日この頃である。