第83回 | 2012.02.06

人口減少社会における農産物の市場予測  ~若手の農家の未来はバラ色だ!~

先週、日本の将来の人口推計が発表された。報道によれば、50年後には日本の人口は現在の約3分の2まで減少し、高齢化率は40%近くまで上がるという。高度経済成長期を経験している私にとって、そもそも人口が減少すること自体、信じられないことであったが、今後は恐ろしいスピードで人口減少社会に突入していくことは確実なようだ。その結果、日本人の胃袋も急速に縮小していくことになり、今後の農業もお先真っ暗なイメージが先行する。しかし果たしてそうなのだろうか。

先日、太田市場で果実を担当する有識者と話をさせて頂く機会があった。その方の見解によれば、果実市場は、これまで供給過剰・価格低迷の状態が続いていたが、昨年度を境に供給過少・価格上昇基調に転じたという。つまり、買い手市場から売り手市場に転換しつあると言うことだ。これまでのように価格が暴落することはなく、高値安定が続くのではないだろうと言う大胆な予測をされていた。

その背景の一つに、生産サイドの状況変化がある。周知の通り、農業従事者は毎年大幅な減少と高齢化が進んでおり、今後は生産力も減退することになる。私が住む小田原は柑橘の一大産地である。みかんがドル箱だった昭和40年代には、地域の全ての農家が、すべり落ちそうな急傾斜地に沢山の苗木を植えた。しかし現在、最盛期を経験した農家は高齢者となり、後継者はほとんどいない。条件不利地では耕作放棄が急速に拡大しており、地域によっては全滅状態である。もちろん若手の担い手農家も存在するが、その数は最盛期の10分の1以下であろう。果実に限らず、いずれの農産物も同様の傾向が続くものと考えられるが、その場合、当然農産物の総供給量も減少することになる。

一方、消費サイドの動きはどうなるのだろうか。人口が減少し、あまり多くの量を食べない高齢者が増えるのであるから、農産物の総消費量は縮小することになる。しかし、野菜などの一人あたり消費量は、若者世代よりシニア世代の方が多いことが分かっている。また、シニア世代は、多少価格は高くても、おいしいものを食べたい、できる限り国産品を食べたいと志向する人が多い。このように考えると、農産物の国内マーケットは、数量ベースでは縮小しても、金額ベースではそれほど縮小しないのではないかと考えられる。

ご存じの通り、商品の価格は需要と供給によって決まる。今後の人口減少社会では、農産物の消費も縮小するが、それ以上のスピードで供給が縮小し、その結果、農産物の価格は上昇するといった仮説を持つことは乱暴だろうか。この仮説が正しければ、これまでのように大手量販店が価格決定権を握ることは出来なくなる。供給が需要に追いつかず、大手量販店は「買ってやっている」という立場から、「売って下さい」という立場に転換する。前述の有識者は、「これからは、産地と卸が価格決定権を握り、堂々と大手量販店と交渉できる時代になる。大手量販店に安売りなどさせないし、適正価格を産地に保証する自信がある」と語った。極めて痛快な話だ。

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米のように、今後も強力な保護政策が実施されれば、供給量は減らず、価格の下落傾向は続くだろう。また、輸入品と品質面などで差別化ができない農産物は、自由化の進展の中で輸入品にとって替わられることになるだろう。林業同様、日本人は無理な立地で耕作条件が不利な農地を開墾し過ぎた。農家数も多過ぎた。そして農産物を作りすぎた。その結果、買い手市場となり、慢性的な供給過剰と価格の低迷を招いてきたのだと思う。定住政策や地域活性化との関連もあり政策的には微妙な問題であるが、本格的な人口減少社会が到来する中で、基本的には条件不利地は元の山に帰すべきだと思うし、農家戸数はもっと減るべきだと思う。それを政策的に抑制しても、日本の農業を迷走させるだけで、若い担い手は育たないと考える。

消費人口は減っても、農産物の価値を適正に評価できる消費者は増える。供給量が少なくなるので、価格のみを交渉条件とするようなスーパーは相手にされず、価格の最終決定権は農家が握る時代がやがてくる。10分の1に減った農家は、効率的な営農環境のもと、崇高な理念を掲げ、最高の生産技術を磨いていけば、高い所得を得ることができる。これが、私が描く10年後の農業の姿だ。

私は経済学部卒業だが、残念ながらこれらの仮説を立証できるだけの理論的な経済分析能力はない。しかし、私が農業の現場や実体経済を日ごろ見る限り、農産物の価格が上がり、農家所得も上昇し、やる気のある農家が自信を持って農業に取り組める時代がやってくると確信している。大学の先生方かどなたか、私の考えや思いを立証して頂けないだろうか。若手農家達に対して、バラ色の未来を示してみたい。