第134回 | 2013.03.04

中山間地域の活性化手法を考える ~わくわくすることを考え、行動しよう~

前回に引き続き、講演会での話をしたい。この度は、新潟県上越市に赴き「中山間地域から光輝く農業・農村づくり」と言うテーマで講演会を行った。上越市と言えば、全国屈指の農業地域であり、水田経営面積だけでも15,000haを超える。平成17年に14の市町村が合併して新しい市となったが、中山間地域も多く、中山間直接支払いの対象となる協定面積は、約2,800ha、交付金額は年間5億5千万円にのぼる。上越市は、国の様々な事業モデルとなっており、市独自の取組も活発である。

この度の講演会では、上越市独自の施策である広域連携協定を進めるための、地域住民への啓発の場にしたいという思惑があった。これまで上越市では、直接支払いの受け皿組織を各集落に設立してきたが、第3期への移行期では、農家の高齢化が進む中、活動が継続できず、組織が崩壊の危機に立つ集落が増加してきた。そこで複数の集落が協定を結び、組織と活動の一元化を目指そうと言う考えである。

私は、2年ほど前に上越市の山間部の2箇所に入り、地域の活動を支援した経緯がある。1箇所はグリーン・ツーリズムで有名な旧・牧村で、「はざかけ米」の振興がテーマだった。もう一箇所は旧・大島村で、地域農業を支える農業公社の経営改善がテーマだった。2箇所ともに、厳しい自然環境の中で、地域の創意工夫を活かし、自ら立ち上がろうと言う強い意志を持った方々が多く存在していたことを覚えている。

私の講演では先ず、中山間地域が目指す方向性について話をした。市町村合併が進み、中山間地域への行政支援で限界が生じてきている中で、地域住民自らが組織をつくり、自治活動を強化するかたわら、小さなビジネスを起こして行くことが、活性化の基本的な方向性であると話した。また、100年経っても地域の担い手となる組織とするため、任意組織ではなく、可能な限り法人格を持った組織に移行すべきだと話した。組織づくりにあたっては、集落間連携はもちろん、地域外の住民、企業などへも働きかけて応援団としての参加を促す必要があるとした。

小さなビジネスとは、直売、加工、交流など、いわゆる6次産業化を意味する。かつては中山間地で3セクを設立し、交流施設をつくり、行政主導で産業の創出を進めた。私もかつて、多くの3セク、交流施設づくりを支援して来た。こうした取組は現在でも無駄にはなっていないが、時代が流れ全国的に人口減少社会に移行した今日、行政から何かを与えてもらうのではなく、住民自らがビジネスを起こすという発想が重要であろう。私の言う小さなビジネスとは、先ずは100万円、可能であれば1,000万円といったものである。それは必ずしも商業ベースに乗らなくてもかまわない。地域住民の身の丈で取り組み、そこに住む人々がいきがい・やりがいを持って取り組み、自らの幸せと組織維持のためになるビジネスでよい。そのためには、80歳代の高齢者にも参加してもらえるような仕組みにしたい。

組織づくりや小さなビジネスづくりの財源は、中山間直接支払いで受けた資金を活用すればよい。また、人・農地プランを作るのであれば、農地集積協力金なども活用できる。みんなで少しずつお金を出し合い、組織をつくり、小さなビジネスをスタートさせることが、中山間地域の活性化に向けた鍵だと考える。

私の講演会の後、2名の地域活動家から報告があった。2件とも、上越市独自の「中山間地域元気な農業・農村づくり支援事業(1組織あたり50万円を上限とした10/10の補助事業)」を活用したものだ。ちなみに上越市の農政部門には、非常に能力が高い行政マンが数多くおり、市独自の事業を成功させ、国がこれを参考に事業化する。あるいは、国に働きかけ、事業化させ、これを財源に成功モデルをつくるといった仕掛けを毎年のように行っている。

さて、一人目の報告者は、「多様な主体との連携活動支援事業」の取組組織の代表を勤められている丸山氏である。丸山氏の集落では、平成19年に集落営農を担う農事組合法人を12戸で立ち上げたが、高齢化が進む中で、この法人だけでは耕作が困難な状況になっていた。その集落では、毎年8月13日に都会に出た子息などが一同に集まり墓参りをする習慣があった。丸山氏はその子息たちに着目した。農作業を手伝ってくれないかと打診したところ、12名中8名が了承し、秋には一緒に収穫作業などを行うことができた。作業してもらった子息達の時給を1,000円とし、地域でとれたはざかけ米を1kg500円として、現金でも現物でもどちらでも受け取れるような仕組みにした。

子息達の、故郷の農地と農業を守りたいと言う思いが、新たな連携活動に発展した事例である。この事業は今後、田植え、防除、草刈などに作業内容を拡大していく方針だ。丸山氏は、まだ構想であると前置きした上で、地域を出て都会で働いている人達の中で、定年を迎える時期にあたる人を対象に、もう一度地域に帰って来てもらうような働きかけをして行こうと考えていると語った。そこで生まれ育った人が、故郷を思う気持ちは誰しも抱く。そんな絆を核とした連携活動の報告だった。

二人目は、「農産物等庭先集荷サービスモデル事業」の取組組織代表の久保田氏である。高齢化が進む中で、地域住民全員がいきがいを持って農業に従事してもらうことを目的に、各農家の庭先まで軽トラックで集荷に周り、都市部のスーパーや福祉センターへ販売する事業である。今年度は12名の農家が出荷したが、うち女性が9名、平均年齢は71.6歳、最高年齢は84歳だった。6月~12月まで計53回出荷し、売上金額は約130万円であった。今年の事業を通して、地域の高齢者が熱意を持って農業に取り組む姿勢が見られ、活気付いたと言う。

これは、私が講演で話した「小さなビジネス」の典型である。上越市では今年度、5箇所で同様の事業が行われた。事業の収益性や集荷・販売体制などには課題を残すものの、これを契機に、出荷量の拡大、6次産業化の展開、交流事業の進展など、新たな活性化の道筋を見出して行って欲しい。久保田氏の報告からは、今後の確かな手応えが伝わってきた。

私の講演後、「私の地域は80歳を越える者ばかりだが、80歳を超えた私達は活性化のために何ができるのか」と言う質問をもらったが、その時は適切な回答ができなかった。しかし2名の活動家からの報告を聞いて、その答えが分かった。その答えは、「例え80歳になっても、地域の活性化のために、わくわくするようなことを考え、地域外の力も借りながら、地域のみんなでアクションを起こすこと」だ。日本全体が人口減少社会に転じた中で、中山間地域の過疎化や高齢化は止まらない。その現状を憂いてばかりいても何も始まらない。光輝くとは、地域に今暮らす人々の目がきらきらしていることだと考える。そこに暮らす人々が、わくわくするような気持ちを持ち続けている限り、どんなに厳しい環境にあっても地域は光輝くのだと思った。