第109回 | 2012.08.21

中山間地域のコミュニティ再生の起爆剤になるか! ~注目を集める高知県の集落活動センター~

先般日本農業新聞で、かなりびっくりする記事が一面を飾った。高知県が、今後10年間で、新しい地域づくりの拠点となる「集落活動センター」を130箇所設立すると言う記事だ。県は各センターに年間最大1,000万円を3年間助成し、人的支援も行うことで県全域で集落再生の芽を育てる方針である。全国に先駆けた中山間地域の振興策であり、思い切った政策である。

今年も流研は、四万十市で道の駅整備に向けた支援事業をさせて頂いているが、かつて高知県と流研の付き合いは非常に密接だった。高知の方々とは何故か馬が合い、県下の多くの市町村から仕事を頂いていた。ひと昔前は、高知県ではかなり知名度が高かった会社であると自負している。坂本竜馬を生んだ土地であり、高知県民の革命意欲は相変わらず旺盛のようだ。

センターは、住民が主役となって仕事や生活、防災、福祉、交通など地域ぐるみで課題の解決策を話し合い、実践する場とする。廃校となった小学校など既存の施設を活用し、活動の内容は住民自身が決める。センターの設立を決めた集落に対し、初期投資への支援として県が、事業費の2分の1、市町村が残り2分の1で年間最大1,000万円まで補助金を出す。センターの運営に携わる外部からの人材は「高知ふるさと応援隊」と位置づけ、県は一人当たり年間100万円を助成する。さらに県は、センターごとに、観光や農業、福祉、防災など部門横断的に10名程度の支援チームを編成し、計画づくりの話し合いから事業化や運営の実践まで、総合的・長期的に支援する。2012年は総額1億円の予算を用意している。県が助成金を出すのは3年間までで、その後は住民の自立的なセンター運営が求められる。

高知県の副知事の岩城氏のインタビュー記事からは、高知県の不退転の意気込みが伺える。地域住民の生活拠点となるセンターは、「最後までこの地域で暮らしたい」という住民の思いに応えることが目的である。中山間地域の振興対策は、今なら間に合うが、今本気で取り組まないと手遅れとなる。したがって「絶対、やらなければならない」と熱いコメントをしている。

我らが小田切先生(明治大学農学部)のインタビュー記事も掲載されていた。高知県の取組は、非常に画期的で、全国の中山間地域の振興モデルになるとした上で、センターを立ち上げることで安心し、思考を停止してはいけないと語っている。「地域おこし協力隊」などとの連携を図りながら外部から人材を呼び込むことや、地域住民みんなが参加できる小さな経済をつくることなどを中心に、さまざまな活動を束ねる機能をセンターが担うことが重要であるとしている。

モデルとなる単発の事例はいくつかある。広島県安芸高田市の川根振興協議会は、1972年発足以来、心のきずなを深め、住みやすい地域づくりに活発な活動を展開している。将来への夢を描いた「川根夢ロマン宣言」によって、次々と整備が進められ、地域の活力が再生した。交流と地域活性化の拠点として建設された「エコミュージアム川根」は、運営に女性の活動が大きな役割を果たし、内外からの評価を高めている。農業を守るF・F21の営農活動、1日1円福祉募金活動など、支え会う福祉の実践、河川清掃等地域美化運動、自然と人の共生にめざましい成果をあげ、地域全体がまるごと博物館として、自然をまもり、住んでいる人が自分の生活に生きがいをもち、個性豊かな地域づくりが進められている。

流研の顧問がアドバイザーを勤める「やねだん」の取組はあまりにも有名だ。鹿児島県鹿屋市串良町の柳谷集落では、豊重哲郎氏と言うカリスマのもと、自助努力の指向が強く、からいも(さつまいも)を共同で栽培することを核に、公民館活動、緊急警報装置の設置、寺子屋、土着菌の利用、焼酎作りなど様々な事業を展開し、集落に暮らす人々に一戸あたり1万円のボーナスまで支給している。最近では宿主がいない家に芸術家たちを招き、集落の活性化も図っている。モットーは「補助金に頼らない集落作り」であり、地方自治の成功例として、全国の自治体から熱い視線を浴びている。

高知県の集落活動センターでは、県などからの強力な支援はあるものの、地域住民が主体的に集落再生のシナリオを描き、それを実践して行くことが求められる。そのためには、強力なリーダーと一緒に行動を共にする右腕、左腕になる人材が必要不可欠である。川根振興会もやねだんも中核になる人材がいたからこそ、現在がある。過疎化・高齢化が急速に進む中で、人材の有無が成否を分けることになろう。

こうした人材を外部から呼ぶことは有効であるが、集落社会は都市部の住民が思うほど、簡単なものではない。誤解を恐れずに言うと、集落の高齢者ほど、独善的で排他的で、我がままで偏屈であり、出る杭はどうにかして打ちのめそうとするし、よそ者には非常に警戒感が強く、容易に言うことなど聞かない。小さな社会であっても、昔ながらの大将がいたり、派閥や反目が根強く残っている。私が住む村も、ひと昔前までは大変な状況だったと聞く。時代が変わり、集落の高齢者達も意識は変わりつつあると思う。集落において、新たな人材や飛び抜けた人材を受け入れるだけの合意形成を図りたい。

もう一つの課題は、センターが生活支援の拠点となるだけでなく、経済拠点としての役割も担えるかどうかである。どんな集落にも経済活動が必要不可欠である。小田切先生が常日頃提唱する「小さな経済」でかまわない。経済行為が伴わない集落活動は、継続性が担保出来ないからだ。生活と経済、この両輪を回して行くのはさらに容易ではない。なぜなら、中山間地域の集落では、昔ながらの農林業は存在しても、地域のマーケットは非常に小さく、都市部を対象にビジネスをやって行こうという発想やノウハウが全体的に不足しているからだ。これを解消するためには、例えば都市部の住民が販売を担うなど、外部の応援団の存在が必要不可欠になる。

その上で、高知県の集落活動センター構想には大いに期待したい。是非とも成果をあげてもらい、全国でも同様な活性化施策が導入されて行くことを願う。

我が村でも先日、地域の中心を流れる仙了川で灯篭祭りが盛大に行われ、これからは神社の秋祭りの準備が忙しくなる。秋祭りが終わったら、流通研究所(KABS)と連携しながら、近未来的な集落営農の本格的な始動に向けて、特産米の実証販売も手掛けて行く予定である。中山間地域ではないが、日本のあるべき集落モデルとなる村のリーダー格として、私は生涯実践者でありたいと思う。