第122回 | 2012.12.03

自由貿易は国民を豊かにするのか? ~この国のあり方を問う~

世の中は今、選挙モード一色である。今後の国政を左右する選挙であり、平成の二宮金次郎を自称する私としては、無関心ではいられない。多くの政党が出現し、その後いわゆる野合を進めながら、テレビでは著名な政治家達が政策論争を繰り広げている。消費税増税、脱原発、TPP参加などの論点の中で、やはり私はTPP参加に最も関心がある。TPP参加の賛否と言う前に、自由貿易、グローバリゼーションと言う大きな枠組みの中で、この国の将来を見据えた政策を示し、国民の審判を仰いで欲しい。

私はかねがね、自由貿易の過度な推進が、本当に国民を豊かにするのかと言う疑問を抱いてきた。はっきり言うと、自由貿易を過度に進めることは、国民を不幸にするのではないかと考えている。

自由貿易では、生産性・技術力などの点で、国際競争力が相対的に強い商品・産業を持つ国が輸出国となり、同じ商品・産業を持っていても国際競争力が弱い国は、その商品・産業を捨て、輸入国に甘んじざるを得ない状況になる。それぞれの国が国際競争力を持った商品・産業に特化し、優位性のある商品を物々交換すれば、自由貿易に参加する全ての国は豊かになると、古典的な経済学を大学時代に教わった。問題なのは、こうした妄想を、多くの政治家も産業界も、一般国民も未だに抱いており、現実論を認識していないことだ。

日本にとって国産競争力が強いと言われる典型的な商品・産業は自動車(自動車産業)であり、国際競争力が弱いと言われる典型的な商品・産業が農産物(農業)であろう。自由貿易推進の原則に基づけば、例えば、日本は自動車づくりに特化し自動車をどんどん米国に輸出して外貨をかせぐ一方で、農業はきれいさっぱりと捨てて、農産物は米国からの輸入で賄おうと言うのが目指す姿だ。農家は、かせぎが悪い農業など辞めて、自動車工場に勤務して高収入を得て、国民全員で米国産の安い農産物を食べて暮らせばよいではないかと言う考えだ。グローバリゼーションが進む世界で、それが正論だろうと考える人が実に多いことに驚く。

そもそも日本は、自由貿易に依存しなければ成り立たないような貿易立国なのか。答えはNOである。自由貿易を進める韓国を見習え、などと暴言をはく知識人もいるが、韓国など手本になる訳がない。韓国のGDP(国民総生産)に占める輸出の割合は50%、輸入の割合は47%で、韓国民は生活の約半分を輸出入に依存している。一方、日本のGDPに占める輸出入の割合は双方とも14%であり、残りの86%は内需によって生活している。このように、そもそも国体が全く違う訳である。

韓国は、自由貿易を積極的に進めたことで、サムスンなど世界的な巨大企業を生み出した。しかし、韓国民が全員幸せになったかと言うと、その実態は悲惨なものだと聞く。輸出入先国の景気によって、国民は一喜一憂を繰り返し、農業を始め弱い産業は衰退の一途をたどり、多くの農村は崩壊し、貧富の格差はどんどん広がっていると言う。自由貿易で豊かになったのは、中国同様、一部の特権階級だけで、その恩恵にあやかれなかった大多数の国民は、絶望の中で生きて行くしかなく、サムスン栄えて国滅ぶ有様と聞く。その結果、現在、自由貿易を積極的に推し進めてきた李明博政権の支持率は極限まで低下し、竹島でのデモンストレーションでもやらなければ政権を維持できないような社会情勢に陥っている。この事例をもとに主張したいことはつまり、自由貿易を極度に推進すると、一部の企業や特権階級に富が集中する一方で、国体に大きなひずみをつくり、多くの国民を不幸にしかねないと言えよう。

また、自由貿易を過度に進めると、デフレ(物価の下落)を助長することになる。関税が撤廃され、海外から安い輸入品が多く出回ると、これらの商品との競争に勝つため、国内の生産者や企業はさらに国産品の価格を下げざるを得ない。「消費者にとって価格が下がることは歓迎すべきこと」などと、バカなことを言う主婦が多く非常に嘆かわしい。イオンもニトリもすき屋も、生き残るには価格を下げるしかないと言う経営判断をしているが、デフレは確実に国民を不幸にする。

国産商品の価格を下げるためには、コストを下げる必要がある。コストを下げるためには、主たる経費である人件費を削減する必要がある。そのためには、給料・ボーナスをカットするか、派遣などの雇用者にスイッチするか、リストラするか、さらには海外に安い労働力を求めるしかない。こうしてバカな主婦が、物価が下がって喜んでいる一方で、夫の給料はカットされ、あるいはリストラされ、家庭は貧乏になった国民は、当然ながらさらに安い商品を求めるようになる。これをデフレスパイラルと言い、国民が不幸になって行く最悪の道筋であり、現在日本は、まさにこうした経済状況にある。こうした状況の中で、安価な輸入品が市場に多く出回り、さらにデフレを加速させることになる、自由貿易を推進すべきなのか。

反面、国民が豊かになるためには、多少高くても国産品の社会的価値を認識し、買い支えることが最も近道と言える。適正価格で国産品を買い続けることで、会社は適正利益を確保でき、夫の給料は安定し、主婦はまた安心して良い国産品を買い続けられる。単純に言えば、これが健全な経済循環と言える。

私は自由貿易を全く否定している訳ではない。日本が人口減少に転じ、長期的には国内マーケットは縮小して行くことになる。国際競争力があるものづくりを進め、海外で有利販売先を求めて行く努力は今後も必要だ。しかし、そのために、何千年に渡り培って来た国体を捨てて、苦し紛れに自由貿易に走ることは、国民を不幸にするばかりか、日本人のアイデンティティまで崩壊させることになりはしないだろうか。

さて、そこで農業である。自由貿易を進めたら、やはり日本の農業は衰退の一途をたどるであろう。野菜・果実などは生き残るかもしれないが、関税率が高い米、小麦、さとうきび、牛肉、こんにゃくなどの産品は、輸入品との競争に惨敗し、国内ではほとんど生産されなくなるであろう。このコラムでも何度も書いたように、超低価格の米が大量に輸入された場合、残念ながら国民は国産米を買い支えようとはしない。また、国際相場をはるかに上回る超高値の国産米が、全ての農家を豊かにするような戦略的な輸出品目になることなどあり得ない。農産物の輸出については、国費を投じながらこれまで何度もチャレンジしているが、さしたる成果は上がっていない。米が戦略的な輸出品目になるなどと言っている方は、自分でやって見せて欲しい。

日本の農家の1戸あたり平均耕作面積が約2haだとすると、米国は186haで日本の93倍、オーストラリアは3,068haで実に1,534倍である。大規模経営を求められる穀物が、米国やオーストラリアにかなう訳がない。では、本当に技術力で日本の優位性を発揮できるかと言えば、それもNOである。国産米とカルフォルニア米の食味の優劣を判断できる国民は半数にも満たないだろうし、自由貿易となれば輸出元の国は本気で食味向上に取り組み、あっと言う間に日本の技術に追いつく。その結果、日本からは田園風景が消え、不毛の耕作放棄地だらけになるか、良くても太陽光発電用地となるだろう。

自由貿易を過度に進めると、国民は不幸になる。こうした私の主張を頭の片隅において、来たる国政選挙に清き一票を投じて頂きたい。