第154回 | 2013.07.23

定年帰農のための2つの条件 ~農業はそんなに甘くない!~

「定年帰農」という言葉が生まれて久しいが、昨今リタイヤ局面を迎えた団塊の世代が、第2の人生を求めて就農する動きが活発である。農家の高齢化や農村の過疎化が進む昨今、定年帰農者は地域農業の担い手として大きな期待を集めている。

先ず、前提として、定年帰農者は、大きく2つに分類されることを明らかにしておく必要がある。1つ目は、もともと実家が農家であり、会社の退職を契機に農家を継ぐかたちで就農するケースである。2つ目は、実家は非農家で、会社の退職を契機に、新たに農業という職業にチャレンジするケースである。実は、この2つには、定年帰農を考えるとき、入り口部分に格段の差がある。

1つ目のケースでは、昔から農家の息子として親の背中を見て育って来たため、農業とは何たるかを肌で感じているし、農作業の手伝いなどもして、相応の栽培知識もある。また、当然のことながら、農業に必要な農地を生まれながら持っており、農機具・倉庫などの設備も揃っていたりする。さらに、周囲の農家とも顔見知りで、農家を継ぐ以前にも様々な行事に顔を出していたりするので、「○○の息子です」と言えば誰でも暖かく言葉を交わしてもらえる。したがって、本人に意欲さえあれば、概ね円滑に就農することが出来る。

一方、2つ目のケースは大変である。農業技術の習得にあたっては、現在多くの自治体で就農支援のための研修制度が設けられているし、県の普及員も手厚く指導してくれる。農地も農業委員会の斡旋で借りられるし、これまで蓄えた貯金で中古の機械ぐらいは買えるだろう。問題は、農村に溶け込み、地域の仲間として受け入れてもらうことだ。柔軟な頭を持つ若者はうまく就農できても、これまでの長い会社勤めで凝り固まった頭しか持たない定年退職者となるとこれがとても難しい。

農村は都会とは異なり、とても閉鎖的な共同社会であることを再確認し、相当の覚悟を持って臨まない限り、就農は成功しない。ましてや、見知らぬ田舎で農業でもしてのんびり暮らそうなど、とても出来ない。例えば、農村では、生活に必要な道路、水路、公民館、神社などの施設は、先祖代々営々と農家達によって管理されてきた。したがって、非農家が就農を目指すには、道普請や江ざらい、草刈り、公民館や神社の掃除、祭や運動会をはじめ四季折々の行事への参加、毎週のように行われる寄合への参加、積雪地帯にあっては雪かきなど、都会の暮らしとでは考えられないほど、公共的なわずらわしい仕事をこなす必要がある。

加えて近所付き合いも多い。冠婚葬祭はもとより出産祝いに加え喜寿(77歳の祝い)だ米寿(88歳の祝い)だと、様々な心付けが必要になる。また、葬儀については、未だ組内で全てを執り行うしきたりを持つ農村も多いであろう。農村での暮らしは、コストも手間もとてもかかるのである。

何百年もかかって出来上がった農村社会に、新参者はそうたやすく受け入れてはもらえないし、恐らく死ぬまでよそ者扱いされるだろう。農家の息子であっても、定年帰農後、本当に地域の一員となれるのは、自治会の役員や祭の実行委員などをこなして、地域での活動実績を作ってからである。

また、農村には、都会暮らしでは考えられない非合理な慣習や先代・先々代から引き継がれた複雑な人間関係もあり、未だに親分・子分の間柄も存在する。寄合の場で、例え正論であろうとこのあたりのことを無視して発言すれば村八分になり、声を掛けてもらえないだけでなく誰も農地を貸してくれないし、下手をすると水さえ止められ、その土地で農業など出来なくなる。

農業と言う産業を生み出す基盤である農村は、このような仕組みで出来上がっているのが実状である。田舎暮らしや定年帰農に甘い幻想を抱いてはならない。定年帰農者への期待を語る以前に、定年帰農者になるための条件を整理しなければならない。その第一は、農村で信頼を得ることである。ここでは、学歴も職歴も評価されない。全てのプライドを捨て、謙虚に地域の人々の話に耳を傾け、誰よりも汗を流して地域活動に取り組むことが求められる。60歳を超えた退職者に、最低3年間、この生活ができるかどうかが最大の関門である。

どれだけ意欲や情熱があっても、知恵やアイデアを持っていても、農村で暮らす基盤がなくては、次のステップには進めない。現実的に都市部から定年帰農を目指して農村にやってくる人の多くが、その土地になじめず撤退しているし、農村部でも定年帰農者の評判は芳しくないケースが多いようだ。

定年帰農者になるための条件を、もう一つ提示させて頂く。それは、しっかりした栽培技術を習得することだ。農産物は最終的に消費者の口に入るものであり、販売するのであれば、おいしさ、栄養、そして安全性が担保されたものづくりが義務付けられるはずである。しかし、農家の後継ぎを含めて、定年帰農者の多くがこの義務を果たしていない。

現在、全国の農産物直売所で、「定年帰農者問題」が持ち上がっている。定年帰農者は総じて生産規模が小さいことから、出来た農産物を身近な直売所で売ろうとする。直売所では、出荷者の高齢化や減少が課題になっていることから、定年帰農者が新たに出荷者として参加してもらえることは歓迎である。しかし、栽培知識を持たず、生産履歴もつけないような定年帰農者が出荷する農産物は悲惨である。多くは規格外で味も悪く、どんな農薬を使ったかも定かではない。

直売所では、出荷者が価格をつけることができる。栽培技術が乏しい定年帰農者が出荷した農産物は、見た目も悪く、売れ行きはよくない。そこで、定年帰農者は価格を下げて売ろうとする。これがエスカレートすると、直売所全体で価格競争が起こり、直売所全体がくずばかりを低価格で売るようになり、アウトレット化してしまうことになる。篤農家や高い栽培技術を持った若手農家は、よいものを作っても適正価格で売れないため、撤退するか、C級品しか出荷しなくなっており、篤農家達にとって直売所は、有望な販路ではなくなりつつある。

生産者の思いがこもった新鮮でおいしい農産物を、消費者に直接届ける。生産者自ら価格をつけて売ることが出来る。農家のために作った直売所が、定年帰農者の出荷者が増えたために、自ら品質劣化と低価格化を招き、崩壊の危機にある。全国的にこの傾向は強まりつつあり、現在大きな問題として浮上しつつある。定年帰農者が直売所をだめにした。そうした怨嗟の声が、全国で聞かれるようになってきた。

したがって、栽培技術の向上、及びおいしさと安全性が担保出来ない農産物の販売禁止が、定年帰農の2つ目の条件として求められる。現在、県や市町村、JA単位でも、多様な研修制度を設けているので、先ずはこうした研修をしっかり受けることが重要である。また、研修を受けただけでは不十分で、地域で篤農家と言われる方の弟子になり、指導を受け続けることも大切である。野菜は、素人でもできる。しかし、素人は野菜を売ってはならない。

ここまで定年帰農者への期待以前の問題として、定年帰農者になる条件として、農村の一員になること、生産技術を高めること、の2つを掲げた。この2つはとても大事なことであり、定年帰農を志す方々も、また定年帰農を促そうとする行政職員・JA職員なども肝に銘じて頂きたい。定年帰農者は、少なくとも3年間、この2つのことに、謙虚に焦らず取り組んで頂きたい。現場を知らない知識人やマスコミが考えるほど、農家になることは容易なことではない。

定年帰農者が前職で培ったノウハウや知識、ネットワークを活かし、新たな活動をスタート出来るのは、地域で一定の信頼を得て最低限の生産技術を取得できた4年目以降のことであろう。この度は、定年帰農者に対して苦言を呈したが、次の機会では「定年帰農者への期待」についても記載してみたい。